大津波では救いがたい

思考の総括と分解

平沢進の実体化する他者/「眠り」【後半】

前回の記事では初期~『パースペクティブ』までのP-MODELの歌詞から、平沢進の他者のテーマの変遷をみた。

そこではつねに、直接的な他者とのコミュニケーションが求められ、一方でそれが叶わないことが強調されてきたのだった。

 

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平沢進の病

軽くまとめよう。

まず初期P-MODELにおいて、他者との関係を遮断するものは、まさにそれをとりもつ具体的なメディア=社会だった。だからこそ、そのメディアを批判するパンクなスタイルが選択されていたわけだ。これは他のニューウェーブ系のバンドとも通じている。

 

ところが、『ポプリ』以降中期においてはそのテーマは深く抽象化し、メディアの批判よりもむしろ孤独な主体に注目がうつっていく。表現方法も、わかりやすいパンクからより入り組んだアヴァンギャルドな方面へ舵を切る。

ここではもはや、言葉さえが懐疑の対象になり、他者へ通じる道はすべて閉鎖されてしまう。言葉もまた、結局間接的なものであり、個人的な解釈である以上、直接的な他者へは通じていないからだ。

その「言葉」にはおそらく歌詞も含まれる。中期のP-MODELの歌詞は初期のように寓意的ではなく、語感が重視されたメタファーで埋め尽くされており、明確な意味を伝達しない。

 

何を歌っても結局他者には伝わらない。中期P-MODELにおける平沢進の言葉は、もはや何の他者も現実もとらえず、完全に孤独な内面性へと落ちこんでいく。

直接的な他者とのコミュニケーションを突き詰めることにより、平沢進は完全な孤独に行き当たる。いわば平沢進はここでコミュニケーション不全という病に陥ったのだ。

平沢進の回復〜眠り

平沢進は以下『アナザー・ゲーム』と『スキューバ』において、さらに初期ソロまでの間で、その病の自己セラピーに集中していくことになる。今回はそちらに注目しよう。記事の前編が平沢進の羅患の過程だとすれば、後編はその回復に関する経緯である。そしてその回復とは、「眠り」あるいは無意識へと注目することによってなされるのだ。

 

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中期P-MODEL(中編)〜カウンセリング

P-MODELの五枚目のアルバムである『アナザー・ゲーム』(1984)は、初期からの平沢進の片腕的存在であった田中靖美(Key)の脱退後に制作された。これをもってオリジナルメンバーは平沢と田井中貞利(Dr)のみとなった。

田中は作詞作曲をこなし、またバンドのコンセプトに関しても平沢とほぼ同じ感覚をもっていた人物であり、平沢進が未だなお「自らと同じ方向性の持ち主」として称揚する人物である。田中の脱退は平沢にとって非常な痛手であっただろう。実際、この5thは作詞作曲共に平沢のみとなり、ますます「ワンマン・バンド」となった。

それゆえか、『アナザー・ゲーム』と、実質平沢のソロであったカセットブック『スキューバ』(1984)は、非常に平沢進私小説のような感触が強い。まさにここで、平沢進は自己セラピーを試みるのである。

スーパーマーケット・シンポジウム

濁り景色体内につのる

ロンリネスの急所広場の末路に

その濁り水吐き出す外はない

 

めまいが解いたこの身のエレメント

オートマチックにこなせるか

広場の末路に言うだけ言うが

私はechoes

 5thより“Echoes”だ。これは4thまでの内向化し、孤独へと向かった歌詞を自己批評しているようにも取れる(「ロンリネスの急所」や「吐き出す外はない」)。『アナザー・ゲーム』は、これまでの二作を自らまとめるようなコンセプトを感じるアルバムである。『パースペクティヴ』のような雑然とした音に比べるとスマートにまとまっており、現在にまで通じる作風がここで一旦の完成を見ている(ストリングス+平沢進の歌唱+変則的なリズム+アヴァンギャルドなギター)。

このアルバムの中で最も「私小説」的なのは、次の曲の歌詞だろう。

空振る覚悟その数知れず/元の夢今も変わらず
重ね重ねた鉄の因果に/変わらず今だぼくら気絶のまま

Goes On Ghost

Let's Go

空振る言葉その数知れず/元の夢今も変わらず
鉄の因果の川底に住んで/死にきれぬキミにたとえなどなくて

Goes On Ghost 

Let's Go

 

“Goes On Ghost”における「キミ」は平沢進本人を指しているようにも見える。平沢進はしばしば自らを幽霊とか(例えば「Ghost Web」)「モンスター」といった異形として例示するのだが、それもここで現れているといってよいかもしれない。「空振る言葉その数知れず」なども、もはや寓意的に言葉を伝えられない中期P-MODELを自虐しているようだ。

しかしこのアルバムで最も重要なのは実は歌詞ではなく、むしろ手法としてのカウンセリングである。このアルバムの一曲目は“ANOTHER GAME Step1”と名付けられた3分ほどの「語り」であり(「楽な姿勢で座り、目を閉じてください。私がこれから三つ数えると、あなたはリラックスします」から始まる)、これはカウンセラーの催眠療法を真似たものであるし、最後の曲“AWAKING SLEEP~αclick”はリラックス効果がある脳波(アルファー波)を誘発すると言われる一定の音階を用いて作られている。当然だがここで平沢進患者である。

ややカルトだが、つまりこのアルバムにおいては心理学方面からのアプローチであり、「癒し」がテーマになっている。

 

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このインタビューを見てみると、平沢進がその手法について自己解説している。

着目すべきは最後の部分である。「人の意識っていうのはちょうど海に浮かぶ島みたいなもので水面−表面では個人と個人がいるけれど、水面下の部分は最後は海底で繋がってるでしょ。たとえばテレパシーとかシンクロニシティの説明も、その辺でしようと思えばできるわけですよ」。

個人的にはほとんどオカルトだと思うが、これは明らかにユングの心理学(「集合的無意識」)だ。平沢進にとっての催眠療法は、自らの意識が他者と繋がっていることを確かめるためのものなのである。リスナーの間ではある程度常識的だとは思うが、ここで初めて平沢進の中に、「眠り」であり「無意識」のモチーフが立ち現れる。

この眠りのモチーフが全面的に用いられているのが、次の『スキューバ』における歌詞なのである。

鳥になり/獣になり/ボクのままでキミになる

おやすみ/これすなわち/こんにちは

Rem Sleep

「ボクのままでキミになる」。“Rem Sleep”は上のユング趣味を端的に表している。つまり、いままでの言葉=意識では他者に到達しえず、あれほどに孤独を強調していた平沢が、無意識を介することで今度はいとも簡単に他者にアクセスする。それが、おやすみ=こんにちは(=“オハヨウ”)なのである。

仲深まる程に消える口数
夢の合図と秘密で息をつく
あと幾つの現を思いながら
溶けた海の底でキミに会えるか


出会いの場所はそも このフローズン・ビーチ
キミに驚異と敬意で考える
明日からの出来事の前触れに
古代の涙一つも流させて

“Frozen Beach”では、先ほどのインタビューでもあったように、この意識と無意識が海のメタファーによって語られる。「仲深まるほどに消える口数」と「溶けた海の底」は、“美術館であった人だろ”における「街」と「夢」にパラレルである。言葉では他者は捉えられないが、無意識では他者と出会うことができる。なぜなら無意識の次元において、ボク=キミだからだ。

朝が来る前に/消えた星までの地図を

キミへの歌に変え/地の果ての民に預けた

船よ急げよ/西はまだ無窮のさなか

眠りから見晴らせば/宇宙は/キミを夢見て


ボクらの間に/変らないものを数え

約束にくらみ/いくつもの橋を渡った

あの日から消えた/星が今川面に映る

水かさよ増せ/溢れ/キミへとボクを埋めて

いつか陽を仰いで/消えた星が見えた日は

地の果てに預けたあの/地図の歌を歌おう

”ボクはキミだから”と ”ボクはキミだから”と…

少し先んじて平沢のソロ1st『時空の水』(1989)から、“金星”の引用を載せておこう。ソロに至ると平沢は実にファンタジックで広大な世界観を打ち出すようになるので、より世界観は拡大している。

ここでの「ボクはキミだから」という言葉を持って、平沢は初期からソロに至るテーマの完成をみる。平沢の歌詞におけるテーマは、少なくとも抽象的なレベルでは、ここから今に至るまでほとんど変わっていない。他者(「キミ」)との無意識かつ直接的なコミュニケーション。この神秘主義的なテーマが、のちにいかなるモチーフに応用されたかは後述する。

さて、『スキューバ』に戻ろう。引用しないが、他の『スキューバ』における歌詞もまた、ほとんどがこの無意識=海底=他者との出会いという図式で書かれており、いわば無意識へと潜って(「スキューバ・ダイビング」して)行く物語である。外の世界に他者を探すのではなく、内省を重ねたすえに、自己のうちにこそ、平沢は他者を見つけるのだ。

 

たとえば“Boat”の歌詞においては、島と島(個人と個人)の間を取り持とうとする言葉をボートに見立てている。ボートは“おみやげ”を持って他者のところへ行くのだが、その度に不和と争いが起き、ボートは沈みそうになる。ここで平沢進は言葉=意識で何かを伝えることの難しさを歌っているのだ(結局のところこののち平沢はそれを放棄している)。

平沢はのちに(『スキューバ リサイクル』、1995年)こう書いている。「不純物の多い私の想像力に比べて、無意識はいつでも天才です。」『スキューバ』において、P-MODELは今まで封印していたポップ・ソングのスタイルを取り入れ、ひねくれたセンスはそのままに素直な歌ものテクノ・ポップへと変化を遂げる。モノクロの世界から極彩色の世界への飛翔は、平沢進の開き直りとも言える回復にも関わっていると言えるだろう。

中期P-MODEL(後半)〜応用、実践

平沢進の音楽スタイルと歌詞のスタイルは『アナザー・ゲーム』と『スキューバ』で完成している。6th『カルカドル』(1985)と7th『ワン・パターン』(1986)はその応用編と言えるものだ。

音楽面では、ポップでありながらも、ひねくれたスケール感とリズムパターンによって実験的な感触を残した無国籍テクノとでも言える内容になっている。6thにおいては横川理彦、7thにおいては中野照夫と高橋芳一がそれぞれ独特の色を与えている。

特記事項として、『カルカドル』のいくつかの楽曲において平沢はもはや意味のある歌詞を書くこと自体をやめている。彼は夢日記の内容をそのまま反映した歌詞、また歩いている時に思いついたメロディなどを用い(“サイボーグ”)、作詞や作曲のレベルにおいても「無意識」を実践しているのがわかる。

たって見ぬ窓にカルカドル/かつて見ぬ部屋にカルカド

たって/かつて

 

ランダム/ランダム

壁に現れてはまた消える

面影は/数えきれず

デジャヴ/デジャヴ

なぜか鏡みるように懐かし

どこかで/声

おかえりなさい

 “Karkador”。この歌詞では、もはや「カルカドル」がなんなのかもよくわからない。ただ、「デジャヴ」や「鏡みるように懐かし」、「おかえりなさい」など、「既視感」が強調されているだけだ。他にもいくつかの歌詞があるが、『パースペクティヴ』以上に意味を読み取るのが難しい、隠喩だらけの抽象的内容となっている。しかしその抽象度は、かつてのように重苦しい何かの表象ではなく、さっぱりとした無意味な言葉遊びなのだ。

メタファーの成長

さて、しかし個人的に面白いと思うのは、このころから平沢進の中で「眠り」や「夢」といったメタファーが徐々に成長していくことである。例えば、

鉄の壁から呼ぶ声/ドアの開けざまにママはりたおせ

胸の晴れ間で鳴る声/ドアの開けざまにママはりたおせ

夜は隠れ家で/石の輪を描く

つて持つ手おろして/晴れて眠る

 

バス待つ列で耳うつ/ドアの開けざまにママはりたおせ

机にふせた寝耳に/ドアの開けざまにママはりたおせ

昼は籠の中/明日の絵を描く

筆を持つ手重く/晴れた目には

 

起きぬけに聞く呼び声/ドアの開けざまにママはりたおせ

胸の雲間に鳴る声/ドアの開けざまにママはりたおせ

朝は夢のあと/息の輪を吐く

慣れた道も遠く/晴れた日には

 

『ワン・パターン』における“Oh! Mama”は母性による支配もしくは母性への依存に対する批判をシニカルに描いた歌詞であると思うが、ここでは夜、昼、朝が対置関係にある。夜は「隠れ家」、昼は「籠の中」、朝は「夢のあと」であり、ここでは夜=夢の中は一種のユートピア、昼=籠の中は一種のディストピアとして、実に明快な二項対立になっている(この極端な二世界は常に平沢進の歌詞に現れ続ける)。

ここで平沢の「眠り」は実に多義的な言葉に成長しているのである。 ここから平沢進の歌詞を見れば、色々と面白いはずである。

 実体化する他者/「眠り」

さて、ここまで平沢進の「他者」のテーマと、それを解決するための「眠り」のメタファーについて取り上げてきた。しかしこの記事のタイトルは「実体化する他者」である。

眠りの世界の他者は本来的にはひどく観念的で神秘的なものだ。それゆえ実体化することはないはずである…ところが、平沢進の他者は実体化しているのではないかと僕は考えている。それは90年代後半のP-MODEL、いわゆる改訂P-MODELの歌詞を見ると明らかに思える。

幻が教える場所/深い眠りの力で

この響きの理由にも/確かな事だけ感じるね

一つの望みが/全てを照らして


波間に見える更に深くへ/彼の地を目指し進めよ進め

ここへおいでよ/キミのこの地へ/降り立つ日々は約束しよう

夢見る力覚えあるなら/誘う鐘におやすみ眠れ

『舟』(1995)から“夢見る力に”だ。これも「眠り」や「夢」に関しては今までの手法でごく簡単に理解できるはずだ(歌詞全体を参照すればわかるが、この歌詞において、またしても「街」と「夢」の対立が現れる)。

が、この曲に関してはそれとは別の事情がある。

この時期からP-MODEL平沢進)はいち早くコンピュータを通じたインターネットにおけるユーザー同士のコミュニケーションに着眼し、早い段階でホームページを作ったり、またネットを介したインタラクティヴ・ライブ、のちには世界的にもかなり先駆けてmp3での音楽配信などを次々と達成して行く。

この曲は、いわばそのインターネットの世界へとユーザーを誘う内容なのである。(“Welcome”や“http”のような楽曲でインターネット賛美は露骨である)

インターネットとは言わないが、同じような内容は、例えば『時空の水』(1989)にも現れていた。

雪解けの裾で/ヤギは空を仰ぐ

眠り/めざめ/思い出せば話そう

アイリスが咲く/長い雨の夜

祈るようにキミを/さがして駆けてたこと

トルヒーヨのハルディン (トルヒーヨのハルディン)

トルヒーヨのハルディン (までいっしょに行きませんか?)

トルヒーヨのハルディン (トルヒーヨのハルディン)

トルヒーヨのハルディン (まで行きませんか?)

ここでのハルディンとは精神病院を指す(らしい)。他者を誘うような歌詞はすでにここでも使われているが、ここでまだ平沢はインターネットという媒体を手に入れてはおらず、やはりあくまで抽象的なものなのだ。

 

つまり平沢進の観念的な他者は、インターネット通信を通じたユーザーとの直接的なコミュニケーションにおいて初めて実体化している。

ここでそう結論できるのは、この楽曲に「夢見る力に」というタイトルが付いているゆえにだ。平沢進の「他者」=「眠り」は、ここで「インターネット」ともイコールを結ぶわけだ。

 

健康な大人の平沢進

実に大袈裟なタイトルの割に「実体化」の項はやたらあっさりと書いてしまったが、こうして平沢にとっての他者が実体化したがゆえに、のちの核P-MODELにおいて、ディストピア世界、さらに初期のメディア批判が復活していると言える。

平沢進は、常に直接的なコミュニケーションを志向するゆえにジャスラックであるとか、レコード会社といった「中間管理」を批判するし、まただからこそmp3配信のようなインディペンデントな媒体に強くこだわってきたのだ。彼が毎日のようにTwitterを更新することも、これと陸続きである。これはインターネットが彼にとって「他者」そのものであるからこそ、だろう。

 

というわけで、こうして平沢進は病から回復し、実に「健康な」大人になった。

『パースペクティヴ』から『スキューバ』を経て『時空の水』へ至るあたりの平沢の葛藤や苦悩はもはやない。音楽制作においても歌詞においても、かなり安定した作風を確立したと言えるだろう(ちなみにもう一方で、『カルカドル』〜初期三部作の頃はあくまで「無国籍風」であり、「どこか」だった不思議な音楽性は、90年台中盤を持って「タイ」や「アジア」といった形でこちらも実体化していると言えるかもしれない)。彼はポップソングを作る職人である。

それは「私がやりたい様にやった結果、それがすべて、私のサウンドであります。音楽における、実験というものはすべて、すでに終了していると思っております。蓄積してきたノウハウを、必要に応じて配置しているのみのことでありまして、楽器、その他に対して、執着、愛着はありません。一言で言うなら、逸脱であります」(2000年)といった発言にも見られる。

 

僕としてはこの平沢進に対しては少しだけ微妙な気持ちも持っている。

中期P-MODELが好きだというのもあるし、あるいは苦悩して実験しているミュージシャンが好きなのかもしれない。

例えば平沢の敬愛するギタリストであるロバート・フリップは、齢70を超えた今もキング・クリムゾンにおいて「トリプル・ドラム」という(今度クアッド・ドラムになるらしいが)新しい形態で音楽を作っているし、上の平沢の発言とは対照的に、「いつ作った曲であれ、どれも新曲だ」と(ライブでの心構えとして)述べている。

それが実験として成功しているかはまた別の問題として、アティチュードとして僕はミュージシャンは実験者であってほしいのだ。かつての平沢進は、意外にもインタビューで「コンサートとは」とか「ロックとは」とか、大きなテーマや哲学的な命題について語っていた。

それは彼にとっての他者が、決して実体化することがなかったからだと思う。後追いでP-MODEL平沢進を聴いていたとき、その葛藤のすえに“金星”にたどり着くあのダイナミズムに僕は感動したのだが、それがインターネットという形で実体化すると、(僕の世代からすると)そんないいもんでもないでしょ、と思ってしまう部分がある。“Welcome”の歌詞など、ちょっとダサいと思う。

 

…まあそれはともかく、決して実体化しない他者をどうするか、かつてそうした苦悩があっただろうし、だからこそリスナーやファンたちにもかつての平沢は不信感を抱いていた。そこにめまぐるしく自己否定を続けるようなあの中期のP-MODELがあったのだ(それは平沢以上に時代的なものでもあったのだと思う)概略的にはなったけれど、今回の記事でもそれがわかっていただけただろう。僕は80年代の平沢進が好きだ(少なくとも歌詞のレベルでは)。

 

平沢は、例えば核P-MODELにおいて初期の自己パロディをするが、中期P-MODELの手法を再利用することは決してない(還弦主義においても『ポプリ』は無視されたのだ)。それはおそらく第一にその音楽性がバンド形態でないと成立しないものだからで、第二に今の平沢にもはや苦悩などないからだ。

まあ、今の平沢に再び悩めとか言ってもしょうがないし、当然ゼロ年代以降の平沢進も好きでいつも聞いているので、大きな不満があるわけではない。ただし、少なくともこれ以上、抽象的なレベルで平沢のテーマが深まることはないのかなと思う。P-MODELバンドとして復活することもないだろう。

(ちなみに、どうせ平沢はやらないんだから三浦俊一とか中野テルヲあたりが中心になって再結成すればいいのにと僕は思っている…)

 

平沢進はもはや、毎日Twitterを更新するファン想いの健康な大人なのだ。

と、7月に大阪でライブを観ることが決まった夜に思ったのだった。

 

 

※関連記事

searoute.hatenablog.com

 

 

近々、中野テルヲ(というかビート・サーファーズのサミット)とか戸川純のライブにも行くので、気が向いたら記事を書きます。

平沢進の実体化する他者/「眠り」【前半】

僕は音楽において、大別してプログレニューウェーブポスト・パンクが好きなわけだが、そうすると平沢進はそのどちらにとっても偉大な存在である。

彼の作風や音遣いのクセは明らかにプログレ由来であって、現代版プログレとして見られるべきだし、80年代P-MODEL〜ソロに至るまでの道はXTCUltravox、PiL、Wireといったポスト・パンクバンドとの関わりなしには語れない。

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というわけで僕は今まで主に平沢進の音楽面について書いていた。が、今回は歌詞について書こうと思う。彼の中での重要なテーマとしての「他者」、そして「眠り」のモチーフの話だ。

 僕は(後追いということもあって)90年代前半までの平沢進しか実は詳細には追っていなくて、いわゆる「タイショック」後の平沢についてはあまり触れていないので、おそらく80年代中盤〜90年代前半の話が多くなると思う。

 

平沢進と他者

しばしば平沢進の歌詞は「難解だ」と言われることが多いが、彼ほど素直に一つのテーマを歌ってきたミュージシャンもいないだろう。彼の楽曲と同様、一つの仕組みがわかれば実は簡単である。

『アナザー・ゲーム』や『スキューバ』以降の平沢進・リスナーには常識であろうが、平沢進の歌詞には「夢」が頻出する。「眠り」とは要するに寝ることだが、それは平沢進においては「夢」や「無意識」と結びつけられるものだ。彼がユングにはまっていたことからも明確である。

一方、そもそも平沢進において潜在的なテーマとは、「他者」である。他者とのコミュニケーションというテーマを用いれば、初期P-MODELから改訂P-MODELに至るまで全て解釈可能である。どころか、これは彼の音楽的なスタイルの変遷とも関係している。

他者のテーマと眠りのモチーフ。これらを中心にして、平沢進P-MODELの変遷について書いていく。それにあたっては、P-MODELの各アルバムから一曲ないし二曲ずつの歌詞を引用し、それについて読解していく形をとる。前半にあたるこの記事では、主に他者のテーマについて取り扱うつもりだ。

 

初期P-MODEL

美術館で会った人だろ/そうさあんた間違いないさ

綺麗な額を指差して「子どもが泣いてる」と言ってただろ

なのにどうして街で会うと/いつも知らんぷり

あんたと仲良くしたいから/美術館に火をつけるよ

 

夢の世界で会った人だろ/そうさあんた間違いないさ

血のりで汚れた僕の手を見て"I LOVE YOU"と言ってただろ

いつのまにか一人遊び/ドアの鍵閉めて

あんたといいことしたいから/窓ガラスを割ってやる

1st(1979)初期P-MODELを代表する楽曲"美術館で会った人だろ"であるが、これほどに平沢進の歌詞のテーマを端的に表した楽曲があっただろうか。この楽曲からおそらく今に至るまで、彼は全く同じ話をし続けている。

この歌詞の中で重要となるのは、「あんた」を軸にした「美術館」=「夢の世界」/「街」の対比構造である。

美術館で会った「あんた」は僕と「仲良く」しており、「"I LOVE YOU"」を囁いてさえいる。ここで「僕」と「あんた」のコミュニケーションは実に円滑に進むわけだ。

ところが、その場所が「街」に変わった瞬間、「あんた」は「知らんぷり」をするわけである。この不条理が「僕」には理解できない。どうして同じ「あんた」である存在が、その場所によって変わってしまうのか? その不条理を「僕」は「美術館」とか「窓ガラス」を破壊することで解決しようとするわけだ。

「僕」と「あんた」のコミュニケーション。これはのちに「ボク」と「キミ」に書き換わるわけだが、この時からすでに平沢進のテーマ設定は一貫している。ボクとキミのコミュニケーションが、「街」=「窓ガラス」によって遮断されてしまう。それは2nd(1980)の“ダイジョブ”の歌詞でも明らかだろう。

対話の経路は複雑怪奇/ボクがあんたの目を見つめるのに

いったいいくつの許可がいる/ボクの声が聞こえるか

きらいな場所から/はなれられない

いまわしい場所から/はなれられない

はなれなくても/ダイジョブ

ハロー 活字の中から/ハロー 音のミゾから

ハロー ラジオの中から/ハロー ブラウン管から

ハロー 私しぶとい伝染病

 

想像力さえお金の支配下/動脈硬化のネットワークさえ

ふとした力で大さわぎだけど/私あんたをあきらめきれずに

いまわしいシステム/はなれられない

ゆるせないシステム/はなれられない

はなれなくても ダイジョブ

ここでも問題になるのはコミュニケーションだ。

長くなるので引用しなかったがこの歌詞の歌い始めは「話す言葉は管理されたし/手紙を出せばとりあげられる」である。要するに、「僕とあんた」の関係は、それを取り持つ(忌まわしい)システム、メディア、あるいは言葉によって徹底的に遮断されている。それでもなお「私あんたをあきらめきれずに」と平沢進は歌っている。

この世界観があるからこそ、P-MODELディストピア的世界観が出てくる。初期P-MODELによる社会批評とは、本質的には「遮蔽物としてのメディア」批判なのである。このメディア≒社会批判は、ニューウェーブ全般に共通したテーマであるとさえ言える。

ここで平沢進以外の歌詞も見ておこう。P-MODELは別に平沢だけによるものではない。

誰も彼もが知らんぷりして
僕を踏んづけたりなんかして
誰も彼もが知らんぷりして
僕を踏んづけたりなんかして

僕の血反吐は広がり貴方の
せめて足元届いて欲しい

タッチ・ミー 確かめて タッチ
胸の鼓動が止まりそうだよ
タッチ・ミー ためらって タッチ
虚ろな視界 かすかに タッチ

ベーシストである秋山勝彦による「タッチ・ミー」である。秋山のやや情けない歌によって歌われるこの曲だが、この曲はP-MODELのテーマを実は先取りしていたとも言える。「タッチ・ミー」とはすなわち中間項を取っ払った「直接的なコミュニケーション」への渇望である。そして秋山の歌詞において重要なのは、平沢に比べ目線が主観的であることだ。平沢進の歌詞には社会風刺的な目線が含まれているが、秋山はむしろ疎外される孤独な個人にしか興味がない。

しかし平沢進の歌詞もまた、メディア批判の先にある「直接的他者」への孤独な渇望へと変遷する(僕はこれを平沢の秋山化とひっそり呼んでいる)。

 

中期P-MODEL(前半)〜「孤独」

YMOを中心とするテクノ・ブームに沸く世間に辟易とし、初期のテクノ・ポップ路線を捨てポスト・パンクへと舵を切ったP-MODELは、秋山勝彦をクビにし、平沢、田中、田井中の三人体制で『ポプリ』(1981)を製作する。

まだ初期の面影を残しながらも初期にはあり得なかった内省的なサウンドを志向し、前衛手法をふんだんにとりいれた3rdだが、歌詞の内容もここから内向化し始める。

見なれた景色のエッセンスには/ボクを拒むわけがある
わかっているさ 百も承知さ/一から千まで話したところで
さみしさには変わりない/この気持ちをどうにかしようと
ついうっかり受話器をはずして/ついうっかりダイヤル回して
ついうっかり/ついうっかり/ついうっかり秘密のうわぬり
いまわし電話/ケーブルの中で
いまわし電話/ボク放し飼い
いまわし電話/動くに動けぬ
いまわし電話/ボクは秘密の単位

「いまわし電話」だが、ここでは、今までは単に批判の対象であったメディア=「電話」が、少し違った角度で語られている。ここで大きく取り上げられているのが、要するに「ボクの孤独」である。

相変わらず「ボク」は「忌まわしい場所/システム」にとどまっているのだが、ここで強調されるのはそのシステムへの批評ではなく、むしろ拒まれてしまう「ボク」である。システムに不信感を抱きながら、それでもなお「ついうっかり」他者とコミュニケーションを測ろうとしてしまう「ボク」がクローズ・アップされている。ここで歌詞は一気に内向化/抽象している。

目覚めると funeral funeral/夜明けの前に時は止まった

ボクは月を恨んでいない/勝負は始めについていたから

振り向くと carnival carnival/人ごみに浮かぶボクの抜け殻

うしろ髪に巻かれて笑う/せめて香りのgestalt

あなたの頬を紅く染めて

同じく3rdから"Potpourri"だ。ほとんどやけくそのシャウトで歌われるこの曲だが、ここでは、もはや歌詞の明確な意味や具体的な内容は伝わらない。

平沢進は『ポプリ』を「敗北宣言」と後に呼んでいるが、この歌詞にもその敗北感が滲んでいる。キミとボクをとりもつ中間項である社会を否定し、流行りの音楽を否定した今、「ボク」には内省的な孤独しか残されていない。「時は止ま」ってしまい、「ボク」はもはや「抜け殻」へと化している。

この3rdでは、他にもこのように抽象的な歌詞が散見される。

 

この抽象化と内向化は4th『パースペクティブ』(1982)において頂点に達する。

厳粛な光の視覚/言葉だけが身をかこむ

あらゆる物ものがたり/流れるTime

 

立像の無常は動かぬ律動/夢はいつも終わりから

うかれる目がチャンス殺す/流れるTime

 

Cosmosは高さに宿り/消えぬ想い歩巾がかこむ

言葉なくては見えないこの身よ果てろ/流れるTime 

"Perspective"。このアルバムにおいて歌詞の抽象化は極まり、意味よりも語感を優先した作詞がなされるようになる。ここまでメタファーだらけであると、もはやほとんどの歌詞の意味が明確ではない(というか意味を確定する意味がない)。

が、重要なのは前者における「言葉だけが身をかこむ」、「あらゆる物ものがたり」や「言葉なくては見えないこの身よ果てろ」という表現だ。

それを押さえつつ、とりあえずもう一つ見てみよう。

色とりどりにのこぎり鳥は/メートル法の部屋を飛ぶ
愛なんぞじゃありゃしない/まして正義なんぞじゃありゃしない
カガミがあるだけ
のこぎり鳥はどこ義理欠いた
底意地とれて/のこりギリギリ


きめこまやかにのこぎり鳥は/見える角度で姿を変える
うそなんかじゃありゃしない/ましてほんとうなんかじゃありゃしない
日記があるだけ
のこぎり鳥はどこ義理欠いた
底意地とれて/のこりギリギリ

意気揚々とのこぎり鳥は/チェス盤上をねりあるく
敵なんぞはいやしない/まして味方なんぞはいやしない
恐怖があるだけ
のこぎり鳥はどこ義理欠いた
底意地とれて/のこりギリギリ

 

時はやおそくのこぎり鳥は/直線上の視界の奴隷
いちぬけたいねさようなら/ましていちぬけたいねさようなら
言葉があるだけ
のこぎり鳥はどこ義理欠いた
底意地とれて/のこりギリギリ

"のこりギリギリ"だ。ほとんどラップのように語感の近い言葉が並べ立てられている。これも歌詞は抽象的だが、"Perspective"と共通して、まず「視界」、「遠近法(パースペクティブ)」という共通した表現が出てきている点が重要だろう。

おそらくだが、ここで視覚の不確かさと、主観的な視界上で捉えられないモノの多面性(哲学の述語でいうと、「現象学的地平」とか「パースペクティブ」)を重ねて記述している。

そしてもう一つ重要なのは、「カガミ」「日記」「恐怖」「言葉」があるだけ、という表現の並列だ。これは「言葉なくては見えないこの身」と陸続きにあると考えなければならない。日記とカガミという表現は、主に主観性のメタファーと捉えるのがいいだろう。

言葉の意味は、「パースペクティブ」の多面性と同じく決定不可能で、不確かなものである。物を見て「正義」や「本当」を読み込んだとしても、それは結局ある種の主観的な判断でしかなく、そこから抜け出ることはできない。それと同じように、視界の内側、言葉の内側をどこまでも掘って言ったところで、そこにはまた結局自分自身が現れてしまい、外側/他者に出会うことはできない。主観性の恐怖があるだけなのである。

"Zombie"にも「ここはここになく/ただストーリー/すれちがう Narratage の亡霊」という歌詞があるが、ここにおいて平沢進は現実を捉えるものとしての「言葉」(中間項)に対して相変わらず批評的な目を向けている。

つまり一言でいえば、これは言葉に対する不信感だ。初期にあった社会批判/メディア批評のテーマは、ここでその社会の切断と、その後に残る主観的な孤独という形で進展している。

現実(「ここ」)は言葉を介してしか捉えることができない。ところが、実際のところ平沢進の言葉は現実を捉えることなどできないし、ましてや他者に意味を伝えることもできない。言葉は他者と通じるための手段どころか、遮蔽物である。そこには自分しかいない。いくら「いちぬけたい」と言ったところで、だ。

だからこそ、ここで歌詞は抽象化していると言ってもいいかもしれない。初期のように明確でストレートな意味を歌詞で歌うことが、この時期の平沢進にはできない。いくらそれが批評的に正しくても、それは「ただストーリー」にすぎないからだ。

他者とのコミュニケーションを志向しながらも、自らの言葉がそれを遮断してしまう。だからこそ、歌詞すらも懐疑の対象になり、明確な意味よりも語感が重視されていく。

 

平沢進の「他者」 

さて、彼のテーマが、どうあっても他者であり、その他者の不在にこそ、初期〜『パースペクティブ』までの平沢進のテーマがあったことが明らかになった。言語を介しては捉えられない他者への渇望。

哲学に明るい読者は、これが実際現象学以降の現代思想において深められていた問いであることもわかるはずだ。平沢がその読者であったかどうかについては全くわからないし、それを突き止めたところでなんら意味はないが、時代的にはこういったテーマが流行っていた時期でもあった。

現実においても、この時期から平沢進は精神的に不調に陥っていくこととなり、そこから完全に復帰するには長い時間を要することとなる。『パースペクティブ』のあたりから平沢進ユングをはじめとした精神医学の本を読み漁り、心理学やカウンセリングに傾倒していくことになるのである。彼のツイッターにおける(ややオカルトな)健康法の話はこのあたりの時期への反省から来ていると思われる。

むしろ現象学の流れでは言語(的身体)こそが他者性の契機と言われたりするわけだが、そんなことは平沢進には関係ない。平沢進にとってはこれは大きく実存の悩みでもあったわけだ。この時期の彼は目の前の実際のリスナー達を半ば否定するような身振りを取りながら、抽象的で神秘的な他者へ向けて突き進んでいく。

 

このあたりの問題は実は今敏の映画とも結びつくと思うのだが、今回は特に触れないでおこう…というわけで、記事が長くなりそうなのでいったんこのあたりで区切ることとする。次回は「病んだ」平沢進の自己セラピーから話を始めたい。

いったい彼はどのようにして他者と出会うのだろうか?

 

※後編書きました 

searoute.hatenablog.com

 

二つの「虚構」/リズム(『ララランド』評)

 

あまり映画を観ないのだが、2週間ほど前にTwitterのフォロワーと会う機会ができ、せっかくなので映画を観ようと『ララランド』を観た。

 

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観たあとになるまで『ララランド』が話題作であること、『セッション』の監督の作品であることなどは知らなかったのだけれど、率直に言って結構楽しめた。二回目を個人的に観に行ったくらいだ。

しかし、Twitterを見ていると結構賛否両論という感じらしい。否定的なものとしては、脚本やらカメラワークが陳腐、とかミュージカル理解/ジャズ理解が乏しい、とかいった意見をよく見る。

僕は映画もミュージカルもジャズも門外漢なので、その評価ついてはピンとこない。菊池成孔の本でも一冊読めばわかるのかもしれない。 

まあ、せっかく久しぶりに映画を観たので、以下に、僕が面白いと思った点をまとめておく。

当然ネタバレを含むから、気になる人は観てから読んでほしい。

 

「ミュージカル」の違和感

おそらくこれはある程度の共通認識のはずだが、『ララランド』はメタミュージカル映画だ。少なくとも、「ミュージカル要素を入れて、ハリウッドの夢を追う純粋な若者を追いました」みたいな愚直にハートフルな映画だとは僕は思わなかった。

先に断っておくが、そもそも僕はなんとなくミュージカルに対する違和感を持っている。なんで急に歌いだすのかよくわからないからだ。

今まで普通に筋書きを追っていたのに急に曲が始まり歌い出し、こちらはそれを登場人物の心情描写なのか何なのか「そういう表現なんだな」と思って腹の中で了解して着いていかなければならない。急に虚構の世界に連れていかれる感じというか、その「お約束」を強いられる気がして苦手なのだ。フィクションの同調圧力、とでもいうのか。

その違和感は妥当ではないのかもしれないが、『ララランド』は、そういったミュージカルが(というより「虚構」が)一種の同調圧力であることに自覚的であると思う。

一番初めの渋滞の高速道路のシーンで、ララランドの住人たちはみんなそれぞれのカーステレオで好き好きに音楽を聴いている。ところが音楽が流れはじめ、女性が歌い始めると、住人たちはみんなそれに合わせてフィクションの世界に駆り出される。

画面上には同じリズムで楽しげに踊る人々が映され、それ以外は画面から排除されてしまう(渋滞していない道路の車はそ知らぬふりで普通に走っているが)。踊っているところはまったく映らないが、セブもミアもこの渋滞に同じく巻き込まれていたはずである。

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次のミュージカル・シーンは、パーティのシーンである。ミアとルームメイトたちが連れ添って楽しげにパーティに行き、「自分を見つけてくれる『誰か』」を探す。

ミアとルームメイトは初めこそ楽しげにミュージカルを演じるわけだが、実際会場についてみるとミアはそのノリにどこか違和感を覚えてしまう。それをミアは「『誰か』ではなく『私』を」探したい、と語ることで表出する。

そこで一瞬音楽はストップする。ミアは画面からいなくなり、その後でまた楽しげな音楽が再開する。

 

こうして見ると、この映画においてはミアもセブも、ミュージカルのシーン(虚構)であろうと実際に音楽が鳴っている場所であろうと、大勢とともにそれを同時に楽しむシーンがほとんどないことに気づく(それらしき箇所はジャズバーでセブが演奏している場面くらいか)。

どころか、この映画の主人公たちは、その鳴っている音楽とそれを楽しむ聴衆に没入できず、メタ意識=違和感を覚える描写のほうが多い。パーティでセブが80年代ポップスを演奏するシーン、ミアはポップスで踊る人々を茶化しているし、メッセンジャーズのライブシーンで戸惑うミアのシークエンスはこの「違和感」をよく表している(個人的にだが、好きなバンドのライブでも僕は「没入できない感じ」を味わうことが多いのでよくわかる)。

 

主人公二人が気持ちよく「虚構」の世界に没入できるのは、主人公二人の間の関係においてミュージカルが成り立っているときだけである。

つまりこの映画でのミュージカルは、主人公たちが入り込めず、違和感を覚えてしまう公的な「虚構」と、主人公たちがお互いの間だけで生成し、耽溺することができる私的な「虚構」の二つに大別できるはずだ。

セブとミアが初めにミュージカルを生成するシーンにおいて、二人はお互いのリズムを確認するかのように靴を踏み鳴らし、踊っている。そこで初めて彼らはミュージカルを生成するのだ。

 

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さて、ここでの公的な「虚構」とは、すなわち「ララランド」全体を支配している圧力でもある。女優なり俳優なりがこの街で成功するためには、少なくとも正攻法としては「誰かに気に入られる」(パーティ)か、「誰かを完璧に演じる」(オーディション)しかない。それができない人間はふるいにかけられてしまう。道路の渋滞のように人々はずっと「誰か」が訪れるのを待つしかないのだ。

この映画は、その渋滞をいかに迂回するかを描いているのではないだろうか。

 

リズム、グルーヴの生成と解体

上記の問題をより端的に表す隠喩を選ぶなら、テンポ、あるいは「リズム」であろう。『ララランド』はリズムの映画である。

「公的な」虚構において、人々はある一定のリズムに合わせて踊り、ミュージカルを形成する。キメのシーンでは誰もが一律に同じ動作でリズムに合わせる。それを支配しているのは一定の社会的コード、共通言語だ。

リズムというひとつの共通言語。それに基づいて人は踊るが、そこにノレず違和感を覚える人は、つねに疎外されてしまう。

ここでセブのジャズ理解が批評的になる。セブにとってのジャズは、リズムの奪い合いであり、エゴのぶつけ合いである。これは『セッション』のジャズ理解とも通底する(僕はここでそのジャズ理解が妥当であるかはとくに問わない)。

さらに、セブはジャズを同じ言語を持たない人の間でも可能なコミュニケーションとしてとらえていた。私的なリズムの主張の相克が全体のグルーヴを生成する。それがセブにおけるジャズなのである。

 

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ここでのジャズが『セッション』と異なるのは、『セッション』はもはや全体のグルーヴが解体されるかのようなリズムの奪い合いが主眼だったのに対して、『ララランド』はむしろグルーヴの生成の条件としてリズムの相克が据えられている点だと思う。

この映画は一方でリズムのもつ同調圧力と没入できなさ(「公的な」ミュージカル)を描きながら、もう一方でリズムの生成と没入(「私的な」ミュージカル)を主題にしている。ここでの差異は、それが規定されたものかどうかだ。

「あらかじめ」あるリズムに合わせて人々が踊るような場面は、セブにとって単なる予定調和、お約束でしかない。少なくともノレるものではない。そこにはエゴの相克がないからだ。

だからこそセブはメッセンジャーズの打ち込みのリズムに拒否反応を示すのだ。そこではもはやリズムはあらかじめfixされ、人々はそこにただ従うしかない。リズムが新しく生成されることなどないのである。

 

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共通言語とミュージカル

このリズムの隠喩は、例えば金銭という共通言語にも適応される。セブにとっては、共通言語は規定のものではなく、創られるものでなければならない。セブの金銭、金銭目的への嫌悪感は、要するに共通言語の規定性への嫌悪感なのである。

繰り返しにはなるが、すでにある共通言語に則ることではなく、あくまで自分のリズムを創り、主張し、それが結果として全体のリズムに昇華していくことが、セブのジャズであり、生き方であった。

結果として、そこにミアは惹かれるわけだし、セブに半ば強制的に促されることによってミアは脚本を書く/一人芝居をするという自分のリズムを見つけるのである。

公的な「虚構」のリズムにノレないミアが、自らのリズムを頑固に刻んでいるセブに出会い、そこでようやく自らが没入できる「虚構」を生成する。この映画の筋書きはそのように要約できるだろう。セブとミアは二人の間でのみリズムを共有できたし、「虚構」に没入できた。

ミアは、セブのメッセンジャーへの参加を否定的にとらえる。それはセブが「他人のリズムに同調しようとした」瞬間だからだ。セブにとってはそれはミアのためだったわけだが、仮にその「他人」がミアであったとしても、それはもはやセブのリズムではない。

ここでは、セブとミアのリズムもまた、完全に一致しているわけではない点が重要である。二人は結局別れてしまうわけだし、ミアの成功とセブの成功はそれぞれ微妙に矛盾するものとして書かれている。ポリリズムのように、ずれては一致するのが二人のリズムなのだ。

 

二つの「虚構」/虚構としての「虚構」

この映画では、公的なミュージカルと私的なミュージカルという、二つの「虚構」が対置される。その差異はリズムの生成(「セッション」)の有無である。

この映画の面白いところは、虚構対現実という二項対立ではなく、二つの「虚構」が対置されることだ。ミュージカルの予定調和なロマンスに着いていけず、疎外されるマイノリティがいたとして、結局彼らは彼らで自分なりの「虚構」/ロマンスを生成するだけであって、それも予定調和でしかないのだ。現実はどこにもない。どこまでも相対的な夢しかこの映画のなかにはない。わりかしアナーキーではないか。

 

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そして、最後のミュージカルシーンは比喩でなく本当の意味での虚構=嘘である。虚構として「虚構」(ミュージカル)を描いている。このミュージカルは「ありえたかもしれない」世界であって、だからこそ「ありえなかった」世界なのだ。セブがミアに着いていく未来があったかもしれないし、二人が結婚する未来があったかもしれない。だが、そうはならなかった。「ありえなかった」未来は、実に陳腐でわざとらしいドリーミーな演出で表現される。

この映画は、「いま、ここ」の現実ではなく、来なかった未来とか、ありえたかもしれない過去へと絶えず差し向けられている。女優として成功し、別の男と結婚し、子供を作った幸せ絶頂のミアには、常にセブという過去/虚構がとり憑いている

ミアのアイデアを採用して名付けられた「セブズ」において、二人のズレていたリズムは5年ぶりに一致する。だからこそ、ここには映画内で最大の虚構が生成されてしまわけだ。

 

まとめ

はじめて映画批評を書いてみたら難しかったしまとまらなかったが、メタフィクションが好きな僕にとってはところどころで楽しめるフックがあり、普通に楽しめた。あと監督の若干性格が悪い目線に対しては共感した。

これは本当に余談だが、女性に向かってアツくジャズを語り「夢を叶えよう」と語り合い、付き合ったにも関わらず結局別の男と結婚されてしまうセブには大槻ケンヂ的世界観というか、サブカル男の末路を感じて他人事感がしなかった。結局こうやって思い出になるだけなのだ(ちなみに観た後すぐに持っていた感想は「これ『秒速5センチメートル』じゃん」だった)。

…まあ、だからこそこの映画に否定的になる気持ちもけっこうわかる気はする。

 

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それにしても、監督とセブのジャズ理解を同一視するのは安易ではないだろうか。この映画は別にジャズ最高、みたいな内容ではないし、メッセンジャーズのような新しく、ポップな音楽を否定しているわけでもなかろう。そこにノレない奴もいる、という相対的な目線があるだけだ。

セブはむしろ意図的に「頑固で懐古趣味のジャズマニア」としてカリカチュアライズされていると思うから、そこは僕は特に気にはならなかった。まあジャズに興味がないせいもあるか。

 

さて、虚構とリズム、というテーマで長々とまとめてみたが、僕は映画のこともジャズのこともミュージカルのこともよく知らないので、結構的はずれなことを言った気はする。

もしそうだったとしたら、ぜひクールなジャズのことや、面白いミュージカルのことを教えてほしいと思っている。僕は無知だし頑固だが、セブがミアにしたように熱っぽく語られれば、ノレるかもしれない。

「正しくポップでなくてはならない」80年代ニューウェイブの奇妙な転倒

●1980年代当時、プログレッシヴな音楽をやろうとは考えませんでしたか?

 

僕自身はプログレッシヴ・ロックから影響を受けていることを恥じていなかったけど、 “ツァイトガイスト時代精神)”を理解していた。僕たちは時代と折り合いをつけながら、自分たちの信じる音楽をやってきたんだ。ギター・ソロは無しで、ドラムスは人間のドラマーが叩いていても、エレクトロニックに聞こえるようにしていた。ミュージシャンにとってのゴールはラジオやテレビでオンエアされることだった。僕たちはそのゴールに向かって、フォーマットに沿った音楽をやったんだ。(ニック・ベッグス。下線は引用者)

 

ニック・ベッグスは80年代のニューロマンティック系バンド、「カジャグーグー」のベーシストである。ベッグスの最近のインタビューからの抜粋でこの記事を始めることにする。

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(中央下がニック・ベッグス)

衣装と演奏 

さて、カジャグーグーはパンク出現後の80年代、ニューウェイブの波に乗ってデビューした。デュラン・デュランなどと同じく、見た目麗しい美少年ばかりが集ったバンドであり、俗にいう「ニューロマンティック」である。音楽に一番お金がかけられていた時代、MTVで放映されることもあってかやたらとPVにも力が入っていて、彼らはアイドル的売れ方をした。

一方でカジャグーグーのサウンドは、単に売れ線のアイドルバンド、というだけには留まらない魅力がある。ファンクに影響を受けたギターカッティング、シンセベースと同居しつつハッキリと主張するベースライン。その技巧と音へのこだわりは、80年代ポップスのお手本と言っても過言ではないだろう。シンセサイザーの音ひとつとっても単にキラキラしているだけではなく、聴覚すべてを快楽で満たさんとするかのように緻密にアレンジされている。

彼らの演奏は端的に言って「うまい」し、その楽曲は「製品としても作品としても」よくできている。

Too Shy - Kajagoogoo - YouTube

 

パンクはパラダイムシフトだったか?

ニューウェイブ系のミュージシャンは、一見素朴に見えてそのサウンドは技巧派/アヴァンギャルドであるというようなタイプは珍しくない。

たとえば、商業的にかなり成功したポリスを挙げることができるだろう。

 

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(左からスティング、コープランド、サマーズ) 

 

彼らがよく揶揄される言葉として「パンクのフリをして売れた」というものがある。まさしくそうだったのだろう。

ステュアート・コープランド(Dr)はプログレ出身で、隙あらばポリリズムを挟み込む細かいリズム・ワークは当然パンク的な単なる8ビートではない。初期ポリスのパンク+レゲエ風味はコープランドの意向によるものだったという。ジャズ畑出身のアンディ・サマーズ(G)にしても、単なるコードかき鳴らしではなく、空間系のエフェクターを多用し、アルペジオを中心としたサイケな音づくりを目指している。また後期の“Mother”のような明らかにプログレな楽曲においては、ロバート・フリップまんまのアヴァンギャルドなプレイを披露している(後に実際に共演している)。

上記二人の彼らの独創的かつ職人的なセンスに、スティング(Vo,B)のメロディセンスが加わることでポリスは広範な人気を得た。その意味で、まったく彼らは素朴なパンクなどではない。パンクっぽく見せていただけだ。

The Police - Walking On The Moon - YouTube

 

ニック・ベッグスに話を戻すとしても、彼はカジャグーグーの活動停止後ほとんどプログレ文脈で仕事をしているイメージがある。冒頭のインタビューの前編を見てみると、彼がプログレに多大な影響を受けていることが語られている。

最近だとスティーヴン・ウィルソンのソロへの参加で、マルコ・ミネマンのドラムと抜群のグルーヴを発揮していたのが、個人的には印象的である。

Steven Wilson 'Luminol' Live In Mexico City (HD) - YouTube

 

ポリスの面々にせよ、ニック・ベッグスにせよ、あるいはXTCにせよ、P-MODELにせよ、おそらくほとんどのニューウェイブ系のミュージシャンは、まず世代的にプログレフュージョン、あるいはクラウト・ロックといった実験的ロックの影響を否応なしに受けている。だからといって彼らがプログレだとは僕は思わないし、プログレが特別偉い音楽だとも思わないが、少なくともその残滓はその音楽の中で露骨である。

そんな彼らがパンクのフォーマットに従って音楽を製作していたのが、70年代後半~80年代なのである。それは、先ほどのベッグスのインタビューのなかでも述べられている。 

…1980年代にポップ・シーンで活躍したアーティストの中には隠れプログレ・ファンが多かったのですか?

 

うん、みんな先人から影響を受けてきたんだ。当時はそれを口に出すのは“クール”じゃなかったけどね(笑)。ハワード・ジョーンズはキース・エマーソンの大ファンで、エマーソン・レイク&パーマーハモンドB-3のサウンドを再現していたし、ニックはジェネシストニー・バンクスに傾倒していた。ゲイリー・ニューマンだってすべてが斬新だったわけではなく、プログレッシヴ・ロックから影響を受けていたんだ。ウルトラヴォックスのビリー・カリーはイエスのスティーヴ・ハウとプロジェクトを組んでいたこともある。みんなプログレッシヴ・ロックが好きだった。“おいぼれロッカー”を否定していたパンク・ロッカーだってそうだったんだ。ダムドのラット・スキャビーズはフィル・コリンズのファンだったよ。(ニック・ベッグス)

さて、パンク以後のこの時代に勃興したほとんどの音楽は、(ディスコやメタルも含め)産業的な面すら帯びた「きらびやかさ」を持っていた。演奏の素朴さはテクノ/シンセ・ポップのチープさと合流した。パンク以後とパンク以前で変わったのは実際的な意味としても隠喩的な意味としても衣装であり、実際のところ音楽的には陸続きである。

(一方でパンク精神を受け継いだバンド――いわゆるポスト・パンク――はアートを志向し実験音楽に接近していく。全員が楽器素人であったワイアーは、「ロックでなければ何でもいい」を標語に、2nd以降ピンク・フロイド的なアトモスフィックな方面へ舵をきってアヴァンギャルドになっていく。これはロンドン・パンクというよりはニューヨーク・パンクのアンダーグラウンドさを引き継いでいる。

practice make perfect WIRE Rockpalast 03/18 - YouTube )

 

個人的には、素朴で下手でアナーキーなサウンドこそが大衆性と結びつくというパンクの定義自体、一種の幻想であると思う。有名な話だが、そもそもセックス・ピストルズからして、彼らはパンクとしてプロデュースされ、当然スタジオ音源は聴きやすいように加工されていた。おそらく、(少なくともロンドンで)パンクは初めから単なる製品だった。他のあらゆる流行がそうであるように、パンク・ブームもまた作られたものであって、素朴などではまったくない。そこで生まれる情感もエモさも初めから譜面に書かれており計画通りである。

だからこそ、ニューウェイブよりさらに後、ほんとうの意味でのパンクとか、本来の意味での素朴さとかをとりもどそうとして、多様なバンドが現れたのだ。 

 

「正しくポップでなくてはならない」

パンクはたしかにパラダイムシフトを生じさせたのかもしれない。だが、それはパンク以前以後において、本質的な音楽的断絶を意味しない。

ニューウェイブのバンドは、パンク以前の音楽性を多少なりとも引きずりながら(隠しながら)パンクを装っていた。それはなぜかと問えばそれは当然売れるためである。ベッグスが証言する通りだ。

……が、もう少し考えてみよう。彼らはなぜパンクを装う必要を感じたのだろうか?

 

パンクで重要だったのは、それがひたすらにポップであったということに尽きる。パンクはライブハウスでみんながノレる音楽であり、真似しやすい形式であった。言ってみればパンクは一種のイージーリスニングだった。当然否定的な意味ではなく。

そう考えると、パンクが生んだパラダイムシフトとは、音楽的なものというより、そのパッケージに関する問題にならざるをえない。つまり、先ほども述べた通り衣装でありファッションである。パンクはロックの音楽性を変えたのではなく、ポップさの定義を変えたのだ。何を今さら、という話だが、これが重要なのだと思う。

パンクの影響下にあって大衆性を目指すミュージシャンは、正しくポップでなければならない。正しいポップさとは何か? すなわち、素朴であり、チープであり、アナーキーであることだ。それだけがポップである。パンクは下手でチープで、だからこそポップでなければならない。その強迫観念のもとで、ニューウェイブのミュージシャンは音楽を作っていた。パンクの磁場がここにある。パンクは強固な規範として、正しくポップであることを命じる。

 

その意味で、XTCの楽曲“This is Pop?”はその状況に対する鋭利な批評である。

 

www.youtube.com

 

What do you call that noise

That you put on?

This is pop!

 

パンク以後の音楽のなかにある奇妙なねじれの原因とは、まさにこのパンクの磁場であり、同調圧力にあった。パンクが残した爪痕は、ポップとは「素朴で」「チープで」なければならないという規範である。

この時代、ミュージシャンがポップさを目指すにあたって(それが幻想だったとしても)ある種のパンク精神(DIY)としての「チープさ」「素朴さ」を演出しなければならなかった。それがベッグスのいう「フォーマット」である。このフォーマットを外側からさらにひっくり返すことは彼らには不可能であり、その内側で、規範意識自体の解釈を変容させていったのである。

 

それはエイジアやイエスといった旧来のプログレ集団すらも巻き込んでいる。彼らは露骨にパンクに接近するような真似はしていないが、明らかにその音づくりは以前よりも一種の「軽さ」を志向していた。

サウンドの軽やかさ、チープさこそが「ポップ」の条件だったのだ。だからニューウェイブは自らがチープであるフリをしなければならなかった。この時代のもつ奇妙な転倒とズレがここにある。

 

 80年代ニューウェイブの奇妙な転倒(ずれ)

だいたい言いたいことを書いたのでこの辺で終わりにする。

90年代生まれの僕にはこの時代のサウンドのリアルさはいまいち伝わってこないし、実際の皮膚感覚的なことはわからない。

しかし、(だからこそ?)僕の耳にはこの80年代ニューウェイブが実に奇妙に聞こえる。なぜなら彼らの音楽は「やりたいこと」と「やっていること」、もう少し言うとサウンドとパッケージ、思惑と身体性がずれているからだ。

それは僕にはパンクの磁場のうちで悪戦苦闘しているように見える。正しくポップでなくてはならない状況下で、いかにポップさを批評的にとらえ、変容させていくかが、恐らくニューウェイブのミュージシャンにとって重要だったのではないか。

おそらく、冒頭で引用したニック・ベッグスのいう“ツァイトガイスト時代精神)”とは、このことを指しているのだ。

 

何事においてもこのずれの感覚を大切にしたい。

無国籍80年代ポップ特集セットリスト

ツイキャスで主に80年代ロックで民族っぽいニュアンスがある曲を流してDJみたいなことをやってみました。セットリストをアップします。

 

後半は特にリズムに注目して選曲してみました。

 

入場/途中BGM

Kraftwerk/Computer World

David Bowie/Speed Of Life

Devo/Freedom Of Choice

YMO/Behind The Mask

 

導入編 民族っぽい曲

XTC/Poor Skelton Steps Out

Japan/Vision Of China

The Police/Walking In Your Footsteps

Tom Tom Club/Genius Of Love

 

リズム編

ジャングルビート編

David Bowie/Sound And Vision

ToTo/Africa

P-MODEL/Licorice Leaf

XTC/Don't Lose Your Temper

久石譲/Kids Return

 

ポリリズム

Talking Heads/I Zimbra

The Police/Reggata De Blanc

坂本龍一/Thatness And Thereness

King Crimson/Frame By Frame

King Crimson/Thela Hun Ginjeet

 

電波の関係か、ぶつ切れになってあまり聞こえなかったみたいで申し訳なかったです。

次はニコ生で試してみます。

 

では。

音楽理論の本を読んだ(デイヴ・スチュワートのジャズ嫌い)

 

音楽をよく聞くし楽器をやっているわりにはまったく理論などには疎いのがなんとなくコンプレックスで、入門書の類を買ってみた。

 

絶対わかる! 曲作りのための音楽理論 新装版

絶対わかる! 曲作りのための音楽理論 新装版

 

 

Twitterでたまたま見かけたので買ってみた。なんとなく「参考書感」があって読む気が失せたのだが、これは新装版で、もともとは

 

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こんな感じの愉快な表紙であった。この絵は新装版のなかにもけっこう登場する。本人に似ているのかはよくわからないが……。

 

この著者のデイヴ・スチュワートはそもそもミュージシャンとしても確固たるキャリアがあって、いわゆるカンタベリー・ロックにおいて重要な人物だ。

カンタベリー・ロックといえばソフト・マシーンとか、キャラヴァンとかヘンリー・カウとかスラップ・ハッピーとか、とにかくプログレフュージョンの文脈でも特にジャズとの接点が大きく前衛的な分野と言えると思う。一言でいうと底なし沼という感じのジャンルで、僕はそこまで深追いできていないのだが、とにかくスチュワートはそこで活躍していた。

キーボーディストとしてゴングやナショナル・ヘルスに在籍していたとか、比較的有名なところではビル・ブルーフォードとやっていた人といえばその筋の人にはわかっていただけるだろう。また、80年代にはポップ方面にも創作の幅を広げているようだ。

同姓同名のギタリストもいるようだが、そちらはよくわからない。

 

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内容はメジャー/マイナーといった基礎的なコードの解説から、ロック/ポップスにおけるコード進行の発展の簡素な歴史、応用的なコードワークの説明、さらにリズムやBPMの解説、簡素なMIDIの扱い方、インプロヴィゼーションなどまで及んでいて、単なる理論書というよりはかなり実践向きである。

個人的には、スチュワート本人の好き嫌いや作曲の経験を全編にわたって語ってくれるので読みやすく、すぐに読めてしまった。理解するというよりはとりあえず使ってみよう、というユーザーフレンドリーさが気に入った部分だろうか。

それに加え、英国人特有なのか皮肉やユーモア交じりに書かれているので飽きずに読める。キーボーディストとギタリストの両方に向けてコードが書いているのも親切だろう。

 

…というのが概要で、それはともかく、僕が本書で特に面白いのは、スチュワートのジャズ嫌いである。

ここから第五楽章にかけて、基本的なトライアドから発展させた利用価値の高いコードとコード・ボイシングについて語っていきたいと思います。よく出てくるようなジャズ・クリシェにはタッチしないので安心してくれたまえ。

 

陳腐で薄っぺらで、洗練されてるようでクサいジャズ13thの世界を抜け出る前に、もうひとつ関係するコードを紹介しなければなりません。これなら私の耳にも心地よく響きます。

 (本書より)

 

先ほど言ったようにカンタベリー・ロックというのは比較的ジャズとの関係が密接なジャンルなのだが、意外にも彼にとってジャズは手あかのついた退屈な音楽、ということなのだろう(当然、ある種の外連味ではあるのだろうけど)。

だからこそ彼はよりプログレッシブな方面に舵を切っていたのかもしれない。しばしばジャズ好きからは中途半端と見なされるプログレだが、一筋縄ではいかないのであろう。

 

さて、スチュワートのひねくれっぷりがよく出ていると思うのだが、本書で基礎となるのはsus4、sus2、add4、add2といったコードの説明である。

スチュワートは普通の音楽理論書やギター入門書で説明されるであろうセブンスやナインスに関してはそこまで深追いしない。彼の発想はむしろ、そういったコードのなかにいかに四度や二度の音を挟み込むか、どのようにしてポップかつ奇抜なコード進行にするか、みたいな方向に向かっている。

それゆえ本書は音楽理論と言えばクラシックかジャズ、という定式に対するアンチテーゼにもなっている。

途中で「冒険心のあるコード進行を取り入れているバンド」として、XTCレディオヘッドを挙げているのも興味深い。

 

どうもとことん「クリシェ」が嫌いな男のようである。

 


Bruford — "Sample and Hold" Live (1979)

(ブルーフォードのライブ。スチュワートがキーボードを弾いている。何度見てもバンドのメンツすげえな)

 

余談だが、同時に菊池成孔のジャズ講義の本を読んでいる。菊池もまた軽妙な語り口で、内容は読みやすいのだが、どうも嫌味な印象が残る。同じく軽妙な語り口でもどうしてこうも口当たりが変わるのだろうか。

英国人のセンスなのかもしれない。

 

ヒーリングとしてのギター

 

ギターという楽器が好きではない。

というよりギターという楽器をいじめているギタリストが好きである。それはたとえばロバート・フリップだが……

www.youtube.com

 

(両方変な音しか鳴らしていないが、右側で座って弾いているのがロバート・フリップ

 

一方で、ギターという楽器を弾くのは好きだ。ギターを弾いている間はあまり何も考えなくてもよいからである。

 

何かしたいが何もしたくない

大学が休みになったのでやることがない。来週からバイトを始めることにしたのでそれなりに忙しくはなるだろうが、この1週間は死ぬほど暇であった。

僕は回遊魚のような性質で、性格なのか、何らかの問題があるのか知らないが、常に何かをしていないとしんどくなる人間である。とにかく暇というのが苦手だ。

かといって一方で、自分は怠惰である。暇だから旅行に行こうとか観光に行こうとか街に出ようとか飲みに行こうとかはならないのであり、家から出るのが好きではない。ので、この一週間ほどは本当にほとんど家から出ずに過ごしていた。

そうすると必然的に「何かしたいが何もしたくない」苦痛の状態が訪れる。いわば、僕はスイッチをオフにすることができないので、それを紛らわすために色々趣味をやるわけだ。趣味というのは僕の場合、音楽を聴く、本を読む、映像を観る、文章を書く絵を描く楽器を弾く……などである。

 

インプットでもアウトプットでもなく

しかし、強引にまとめるとインドアでできる趣味はだいたいの行為は「インプット」か「アウトプット」かのどちらかであって、その辺の脳を使いたくない時には向かない。

本を読むにしろ映画を観るにしろ、無意識にダラダラ流しておける人はたくさんいると思うし、そうありたいものだが、僕の場合そういう行為は多くの場合意識的にしかできないので、自分の「意識」というやつがとことん嫌いになっているときはできそうにない。僕は脳のなかの交通量をとことん削減したいのだ。

 

そこで消去法的に選ばれるのがギターを弾くという行為で、ギターを弾くのは無意識でできる。脳というより指がやってくれるからだ。スケールを適当に鳴らしていればよさげに聞こえるので楽しく、それは機械的にできる。で、ほっておくといつの間にか何となくいいフレーズができていたりする。

というわけで、僕は特に何を練習するというわけでもないのにずっとギターを弾いている。これはおそらくストレッチとか筋トレとかと同じなんじゃないかなと思う。

創作する目的でもなく上達する目的でもなく、ただ音が鳴っているだけの状態が妙にうれしい。それがあとから創作行為になることもあるのだから一石二鳥ではないか。

 

ヒーリングとしてのギター

ギターを弾くことは、行為自体は内向的だが、その向いている内側が外側であるような感覚がある。
僕は楽器を、自分の意識を極力無意識に還元するためにやっている気がする。ヒーリングのための、自己セラピーのためのギターである。

筋肉少女帯のリード・ギターである橘高文彦氏は中学生でギターに出会ったとき、学校に行かずずっと家に引きこもり、ほぼずっとギターを弾き続けていたという。トイレに行くときも、というのだから相当だが、僕は結構その気持ちがわかる気がする。

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皆様も楽器、あまり何も考えたくないときにどうであろうか。

近所迷惑なので深夜にはできないのが難点だが。