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大津波では救いがたい

思考の総括と分解

P-MODEL『ワン・パターン』評

ニューウェイブ 音楽 サブカルチャー

航路通です。さらっとP-MODELのアルバムレビューを書くつもりが半月近くかかる難産になってしまいました。長いので興味があるところだけ拾い読みしていただけたらいいなと思います。

 

ワン・パターン(紙ジャケット仕様)

ワン・パターン(紙ジャケット仕様)

 

※現在は廃盤。僕はiTunesで買いました。

 

P-MODELといえば日本のテクノ・ポップシーンにおける最古参のバンドのひとつであり、平沢進率いるカルト・パンクバンドである。
本稿は、そのP-MODELが凍結以前に最後に製作したアルバムである7th『ワン・パターン』(1986)をとりあげる。

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中期P-MODELの変遷

2ndでテクノ・ポップを封印し、3rd『ポプリ』(1981)以降ポスト・パンク的な前衛手法を選ぶようになった中期P-MODELは、初期からの差別化として深く淀んだリヴァーブ(反響)を追求していた。それは4th『パースペクティブ』(1982)や5th『アナザー・ゲーム』(1984)などに顕著だ。

P-MODEL - Perspective

 

しかし、P-MODEL名義でありながら実質平沢進のソロであった『SCUBA』(1984)では、それまではサウンドを盛り立てる効果として用いられていたサンプリングやドラム・マシンの全面使用が解禁され、強烈なスネアの音と同時にチープかつ乾いたリンドラム的な音が多用された。それ以降「凍結」までのP-MODELにおいても、スネアの音とリヴァーヴへのこだわりは健在ではあるが、それまでに比べればやや鳴りを潜めている感がある。

そしてそれに伴い、P-MODELはそれまでの暗く密室的なモノクロの音像から、今の平沢進にも通じる無国籍ポップの極彩色へと舵を切る。それまで実験的な手法しか許さなかった禁欲的なP-MODELの音像に色が与えられ、様々なポップな手法や歌モノ的なアプローチが取り入れられるようになった。平沢進の「テクノ/ポップ」への過剰な忌避感がやや薄れたと言ってもいいだろう。

横川理彦の参加した6th『カルカドル』(1985)で、そのポップ成分は開花している。

P-MODEL - Leak

 

そして今回取り上げる7th『ワン・パターン』(1986)においても、『カルカドル』と同じくドラム・マシンやサンプリングを多用した不可思議ポップスな音像が作られているわけだ。しかし横川理彦・三浦俊一の脱退/中野照夫・高橋芳一の加入により、また前作とは違った色を見せたのが『ワン・パターン』なのであった。

さて、しばしば中期ということで括られがちな80年代P-MODELだが、『SCUBA』を分岐点としてかなり大きく変遷していることを、後追いのファンである自分としてはぜひ押さえておきたい。80年代のP-MODELにおいても打ち込みは用いられていた。

しかし、あくまで生演奏できることを前提にしたこの時期の楽曲群は、生楽器・ドラムマシン・サンプリング音源が混交した無秩序な様相を呈している。今からそれについて書いていこうと思う。

 

各楽曲

各楽曲の印象をまとめよう。※YouTubeで聞けるものはリンクを貼っておいた。

1.OH MAMA!
2.Licorice Leaf
3.Astro Notes
4.メビウスの帯
5.Drums
6.Zebra
7.おやすみDog
8.Another Day
9.ハーモニウム
10.サンパリーツ

 

平沢進(Vo,G,Key)

中野照夫(Vo,B,Key)

高橋芳一(Systems)

荒木康弘(Dr)

 

1.OH MAMA!

P-Model - Oh Mama!

アルバム冒頭から、勝ち誇るような派手なシンセ・ブラスのリフに度肝を抜かれる。「平沢進節」とでも言えるだろう。メジャースケール丸出しというような明るいリフから内省的なAメロに移り、一気にサビで展開する構成は平沢ソロにも通じている。歌詞の内容は“Big Brother”的で、母性の支配とそこから逃れようとする夢の物語だと思う(「夜=隠れ家=眠り」と「朝=籠の中=夢のあと」の対置関係)。一種のユートピアとしての「眠り」は、『SCUBA』から現在に至るまで平沢進に一貫したテーマである。

平沢の好みだと思うが、このアルバムの楽曲では打ち込みの音は打ち込みとわかるようなチープな音像で用いられている。たとえばこの曲で言えば、リフのリズムの裏で忙しなく刻まれる「カタカタカタ」という音や、三拍目の「カーン!」という間抜けな金物の音。打ち込みだからこそ可能になったチープさだ。

そのほか、たとえばサビ部分の単純な裏拍スネアやギターの極端にショボい音などに「チープさ」へのマニアックな嗜好が現れている。この居直った諧謔はアルバム全体に通じている。

中野照夫の変則的なベースや、荒木康弘のリズムパターンも光るものがあり、ライブでも映える曲だった。なお、中間部の女性コーラスはライブにおいてはカセットを入れて再生するという非常にアナログな手法によって再現されており、当然融通が効かないので生ドラムと合わせるのが困難であったらしい。

 

2.Licorice Leaf

P-MODEL - Licorice Leaf

7thから加入した中野照夫による楽曲で、歌も中野が歌っている。僕はこの曲がこのアルバム、あるいは中期P-MODELを象徴するような曲だと思う。

生のドラムの音と打ち込みの音が混交した騒がしいリズムの音、"Jungnle BedⅡ"や"Holland Element"で用いられたジャングル・ビート的なダンサブルなリズムとパーカッションの音が耳につく無国籍/エキゾチックな作りであるが、何と言ってもリフの怪しげな雰囲気が印象的である。シンセ・ストリングスの怪しい音を多用する中野の作風は『アナザー・ゲーム』辺りを彷彿とさせる。

開き直ったような明るいサビ部分は底抜けに爽やかで、かえって不気味なほどであるが、この妙な子供っぽい明るさというのは後述する通り“メビウスの帯”、“サンパリーツ”にも共通する中野の作風で、平沢進にはない要素だったかもしれない。

平沢進といえば増四度を多用する傾向にある(ドに対するファ#の関係。いわゆる不協和音で、おそらくプログレ時代から引き継がれた。ホールトーン・スケールの多用、セブンスの多用などにそれが現れている)が、それは中野にも引き継がれており、リフはいきなり増四度から始まる(この場合、リディアン・スケール)。

そのようにこの時期のP-MODELの楽曲をパロディしているかのような風情があるのにもかかわらず、特徴を純化していった結果なのか、今までのP-MODELにはないような新鮮さを感じさせるのが不思議である。平沢進にはないクールな明るさがあるのが中野照夫の才能といったところだろう。

一方、間奏部のフレーズを切り貼りしたギターソロ(?)は、ギターへの愛など全く感じさせない、平沢進ならではの奇天烈フレーズで、中野の才能に負けていない。後ろで鳴るトロピカルなベルの音は『カルカドル』の要素(“Hourglass”で用いられていた)である。

さて、この曲では「ポコポコ」というパーカッションのような音が入っているが、これはライブにおいて平沢進MIDIギターで再現していた。当時のMIDIギターは技術的に未熟で、不具合で楽曲が中断されることも多かったようだ。平沢進の近年のインタビューでは次のように語られている。


HS〔平沢進〕:あの頃は意外性を狙ってギターでパーカッション・ソロをやってましたが、リズムものは音の遅れが致命傷になりますよね。それでもやってたんです。ライブの後に「ヒラサワさん、今日はテープの調子おかしかったですね」と言われてショックでした。
〔インタビュアー〕:(笑)
HS:逆に、ギターからパーカッションの音が出てるとは思われなかったということですが、じゃあ私はあの時一生懸命何をやっているように見えたのかと、拍子抜けしました(笑)
〔インタビュアー〕:(笑)パソコンも8bitの頃ですものね。
HS:でもまぁ、ギターシンセをライブで使うことを想定して作った曲もあって、それの為にしばし使ってましたけどね。それでも、上手くいく事はめったにないんですけどね。

 

http://www.ikebe-gakki.com/web-ikebe/gj_hirasawa-susumu-interview/

この時期の平沢進は打ち込みの音を生演奏で再現するのに心血を注いでいたようだが、90年代半ばになると煩わしい生演奏を排した「すべて打ち込み」へと転換していく。

 

3.Astro Notes

ロック的な歪んだギターのリフとゴムのような感触のベースが開幕を告げる、 P-MODELとしては異色な楽曲。不安定でマイナー調のAメロからアコースティックなギターの響きのBメロに移行し、伸びきった左右に振られた音が上がったり下がったりする気だるい打ち込みパートへと進行する、展開が読めない楽曲。ミクソリディアン・スケール(ドレミファのシをシ#にしたもの)が用いられており、やや神秘的な雰囲気を醸しているが、スケールが一定ではないので非常に不安な印象を与える。

歌詞の内容は、危険な探検に赴いた調査団といったような内容で、乾いた描写で鬼気迫るのだが抽象的であり、明確な意味は伝わらない。

曲名は60年代に日本でだけヒットした稀有なエレキ・バンドであるThe Astronautsから着想を得たのだろうか。

The Astronauts - Movin' 太陽の彼方

(余談だが、平沢進のサウンドにはかなりエレキ・ブームの影響が色濃い。リヴァーヴへの異様なこだわりも、おそらくポスト・パンク的なアプローチ以前にベンチャーズだったのだと思う。また同時期のバンドとしてはヒカシューもその影響が大きく、日本のニューウェーブとエレキの関係もまた考えられるべきなのかもしれない)

 

4.メビウスの帯

中野照夫作、歌も中野。分厚いシンセ・パッドの上に笛のような軽快なメジャー・スケールのメロディが乗る可愛らしい曲。おもちゃ箱をひっくり返したようなサイケな雰囲気があり、強いて過去作でいうなら“BIKE”あたりに近い。サビでやけっぱちのようにポップになるのは“Licorice Leaf”とつながる中野の作風かもしれない。

サビの後のリヴァーヴがかかったギターの音には、やはり平沢進のルーツであるエレキ/サーフ・ミュージックな癖が出ている。エレキ−サイケ−ポスト・パンクに通ずるのはリヴァーヴへのこだわりなのかもしれない。

The Atlantics - Turista

※オーストラリアのマイナーなエレキ・バンド、アトランティックスの楽曲。P-MODELがライブで演奏していたり、平沢進がカバーしていたりと、平沢のルーツとしてかなり存在感がある曲。“美術館で会った人だろ”に近いフレーズも入っている。


5.Drums

P-MODEL - Drums

強めにエコーがかけられたギターのアルペジオに打ち込みの行進曲的なドラムが入り、シンセ・ストリングスのメロディで進行していくこれまたP-MODELらしからぬ楽曲。オーケストラを打ち込みでやってみました、のような感もあり、つぶやくような素朴なボーカルとメンバー全員での合唱になんとなく童謡のような牧歌的な雰囲気がある。“Goes On Ghost”あたりに近い雰囲気か。

“金星”でもそうだが、平沢進はこういったギター・プレイでは弦の擦れる音を大きく入れる癖がある(普通は削除する音なのだが)。どこかしらヒーリング的な要素もあり、アルバム中で最も平沢ソロに近い楽曲だろう。

 

6.Zebra

P-MODEL - Zebra

この辺りからB面といった感じだろうか。アルバム中でも随一に爽やかな歌モノで、いわゆる「メジャー一発歌い上げ」である。「解凍」P-MODELのテーマ曲となっていたり、アニメ『妄想代理人』オープニング“夢の島記念公園”でセルフ・パロディされていたりと、何かと平沢進お気に入りの楽曲という感じがあるが、“Fish Song”、“Frozen Beach”と同じような曲構成であり、平沢進の素地がよく出ている。キーはCであり、メインのメロディは非常に単純なドレミファソラシドで出来ている。広大な草原を思わせる歌詞も相まって、バンド感が非常に希薄だ(元からだが)。

Bメロのやや暗いパート(音が上下するパート)では分厚いシンセ・パッドの音が用いられているが、ここの上昇音ではまた増四度がひょっこりと登場している一方、ソロ部分ではA♭が用いられ減六度を形成する。平沢進はこの減六度(もしくは増五度)を「ピラミッド音階」と呼んでいたようだ。ソロでは“山頂晴れて”などで用いられている。

一方でメジャー一発の単純なメロディを作りながら、間奏部分でこのように怪しげなコード進行を採用するのは計算なのか皮膚感覚的なものなのかよくわからないが、とにかくそれでも普通に聞かせるのが平沢進の楽曲の説得力というところだろう。

ライブでは笛のような音がMIDIギターで演奏されており、中間部のソロもギターで演奏されていたようだ。


7.おやすみDog

P-Model - おやすみDog

各所にサンプリングが用いられたシニカルな一曲。16ビートの性急なシンセ・ベース(普通ならシーケンサーを用いるだろうが、このフレーズでさえライブでは中野照夫によって手弾きされていた)が印象的である。『ワン・パターン』全体の作風のまとめとも言える曲で、牧歌的なリフ→伸びやかなAメロから突如として無音階の棒読みのサビに入っていく。「寝た犬起こすな、寝た犬起こすな」と連呼する部分はなかなかにシュールだ。

決して単に「アヴァンギャルド」なのではなく、かといって一辺倒に「ポップ」なのでもなく、犬の遠吠えを真似たようなヴォーカルや間奏部の犬の鳴き声など、「ポップさ」を茶化しているような雰囲気すらあり、初期とはまた違った形で「テクノ・ポップ」としての新しい境地を開いた楽曲ではないだろうか。

 

8.Another Day

P-MODEL - Another Day

P-MODELとしては何もかも異色な楽曲。PVが作られているのも珍しいが、これだけコードをジャカジャカと弾きまくり、バンド・サウンド的にできている楽曲はこの時期のP-MODELとしてはありえない。行き詰まった末の楽曲であると言えるかもしれない(実際この楽曲はほとんど一発録りに近い雰囲気で製作されたらしく、「セッション」感が非常に強い)。

打ち込みも用いられているものの、ドラムはアルバム中で最も生感が強く、ハイハットの刻み方などに荒木の素直なプレイを楽しめる。一方でシーケンサー的なフレーズも使われている。

非常に爽やかで、歌謡曲にも近いような歌ものだ。コード進行はやや変わっていて、この楽曲でキーになるのは“Zebra”のソロ部分と同じくA♭だろう。イントロ/サビはC→A♭の繰り返しであり、典型的な「ピラミッド音階」だ。高音域と低音域を行ったり来たりする大仰なシンセ・ストリングスの高揚感はこの減六度の進行からきている。

また、珍しさという点では、平沢進の棒読みのセリフ・パートがあるのも中々に異色である。


9.ハーモニウム

P-model - ハーモニウム 

テンションの高い楽曲が続いたところで、やや落ち着いた雰囲気の楽曲だが、おそらくアルバム中で最も不思議な楽曲である。“Astro Notes”とやや近いか。これまでのがP-MODELの楽曲で言えば、“Floor”をさらに不条理にした感じかもしれない。

不協和音を繰り返すシーケンサーの粒だった感触、シンセ・ブラスの実にチープな感触、童謡じみた歌メロ、単純な4/4のベースパート…に分厚いストリングスが乗っていく。ファンタジーRPGのような感触さえあるが、スケールが一定ではなく、ホールトーンとメジャーを足したような不安定な進行で、聞いていて先を予想できない。それぞれのパートをコラージュしてできているように感じられる。

かといって不気味一辺倒でもなく、歌部分にはそれなりに叙情的な雰囲気があり、楽曲全体を一体どうしたいのか全くわからない。中間部の左右に振られたシンセ・ブラスのソロ(?)における不協和音めいた不気味な進行にそれが現れている(なぜかYMOの“technopolis”を思い出してしまったが)。この楽曲におけるチープさは、ポップさなのか、叙情性なのか、アヴァンギャルドなのか、とにかく決定できない不条理がある。


10.サンパリーツ

P-MODEL - サンパリーツ

アルバム最後を飾る楽曲、中野照夫作詞作曲。「杉並児童合唱団」なる合唱団の児童たちによる「おー、サンパリーツー」という声をサンプリングしている。平沢進はそれなりに気に入っていたようで、ライブで観客に「サンパリーツ」を言わせて遊んだりしていたようである。

怪しげなストリングスフレーズ(ちなみにこれも増四度)と開放感のあるフレーズを行ったり来たりするという“Licorice Leaf”路線の曲だが、口笛のような軽いフレーズと呪文じみた歌メロの対比が印象的であり、中野照夫の(ミック・カーンに影響を受けた)フレットレス・ベースの響きを楽しめる楽曲でもある。

 

「ポップ」なのか「前衛」なのか?

さて、長々と楽曲それぞれについて取り上げてきた。僕の分かる範囲で理論的なことも書いたつもりだ。

このアルバム全体をまとめる印象としては、僕はまず前置きとして書いた記事がある。

 

searoute.hatenablog.com

 

長いので別に読まなくてもいいのだが、僕はこのニューウェイブの話を、実はこの『ワン・パターン』評の前段階として書いていた。要約すると、ニューウェイブにおいては、パンクからの影響で、「チープ」で「軽い」音楽こそが「ポップ」である、という価値観が生まれていたのではないか。実際のところ普通に技巧的であったり職人的であったりするものであっても「軽薄」な衣装を着て宣伝されていたのではないか、という話である。

それは初期P-MODELにおいてもそうだった。“美術館で会った人だろ”などは、ホールトーンスケールを多用したプログレッシブな楽曲でしかないが、テクノな音色と衣装でポップだと思われていた。

 

上の話と鑑みて『ワン・パターン』が面白いと思うのは、それが単に大衆を騙す衣装として機能していた初期P-MODELから、さらに一歩進んだ別なる「テクノ・ポップ」へと、到達しているように思われるからだ。

ところで、しばしば『ワン・パターン』は「中途半端な」アルバムと言われている。確かにこのアルバムは“Oh Mama!”や“Zebra”、“Another Day”のような歌ものを除けば実に地味な仕上がりであり、平沢進本人も出来に不満があったようだ。

このアルバムには『パースペクティブ』のような実験へとただ突き進んでいく禁欲的な態度もなければ、逆に開き直ってポップネスに接近した『SCUBA』のような開放感もない。

しかしこの中途半端こそむしろ僕には不思議に感じられる。一体どうしてこんなことになっているのか? 単に行き詰ったと考えてもおかしくはないが、僕はこの中途半端自体が、「アヴァンギャルド」/「ポップ」という対立自体に対する批評として機能してはいるように感じたのであった。その二項を同時に満たしながら逸脱する手法こそがここでの「チープ」への着目なのではないだろうか。

ここでのチープな打ち込みは「軽さ」を志向し、ポップな意匠に仕上げられている。それは他のニューウェイブの場合と同じだし、その軽さを忌避していたのがいわゆる中期P-MODELだった。

しかし今作で、打ち込みのチープさが単純に(初期テクノ・ポップのように)かわいらしいキッチュさやポップさに終始しているかといえば、決してそういうわけではない。打ち込み要素は、むしろ聞いている中で随所に違和感として残るようにも作られている。この両義性が不思議なのだ。

中野照夫の楽曲において顕著だと思うが、子供じみた可愛らしいポップさは、ここでは同時に子供特有の狂気にもなってしまっている。チープさは、不気味とポップのはざまにあるのだ。

ポップのための素朴さなのか、不気味のための素朴さなのか。どちらが手段でどちらが目的なのかここでは決定できない。たぶんこれは、中途半端なのではなく決定不可能なのである。

 

手違いとしてのテクノ・ポップ

ポップなのか、アヴァンギャルドなのか? これらの二択は、『ワン・パターン』において決定できず、また、これらは渾然一体になっているわけでもない(「前衛的なポップス」ではない)。この両者が同時に提示されるにもかかわらず、それらは一致せず、ひたすらにズレてしまうし、その違和感は放って置かれてしまう。

このズレ自体を明確に提示できたニューウェーブバンドを、少なくとも日本では、僕は他に有頂天くらいしか知らない。


ここでのやり口は、「中途半端」と形容されてしまったように、ともすれば単なる間違いである。単純に聞きやすくするために作られてもいなければ、逆に実験のために作られたわけでもない。どちらに的を絞ったとしても、やり方として間違っているし、どちらにせよ何かしら手違いが発生している。手段と目的がもはや明確ではないような誤った次元に『ワン・パターン』は置かれている。

そして、そもそもテクノとはそういうものではなかったのだろうか。クラフトワークとはそういった存在だったはずだ。彼らは当時非常に先鋭的だった電子楽器をなぜかポップ・ソングを作るために用いた。この誤解であり、手違いこそがテクノ・ポップを生んだのである。その意味で『ワン・パターン』は、解凍期とは全然違う「テクノ・ポップ」の優れたアルバムなのだ。

 

平沢さん、ポップをどうする気ですか

僕がこのアルバムを聞いた時の印象は「どうする気だ」である。“ハーモニウム”の箇所に書いたが、一体どうしたいのか全くわからなかった。とりあえず手当たり次第その辺の棚を開けまくったら色々出て来ました、というような感じすらある。

改めて聞き返しても、特に平沢進の曲は不条理な楽曲が多い(“Astro Notes”、“Drums”、“おやすみDog”、“ハーモニウム”あたり)。初期平沢進ソロもそうだが、ここでどうしてその音が入るのか、と疑問に思わざるを得ない部分がたくさんあり、しかし何も考えず聞いているぶんには素通りできてしまうのが、変なところである。特に歌ものの完成度だけでいえば普通に平沢ソロに通じる完成度なのだ。

中野照夫は、平沢進にわざわざ寄せなくてもある程度平沢と近いような不思議なセンスの持ち主で、もう少し平沢進と共作して欲しかった。この後に予定されていた『モンスター』というアルバムの製作が頓挫したのは実に惜しい。その後平沢進がバンドでの音楽製作を放り投げたのも、わからなくはないが、僕としては面白くないなあと思う。

90年代のP-MODEL平沢進のプロデュースを中心にしたある種の企画というか、あるコンセプトの下で一定期間活動するユニットであり、「平沢進がテクノをやる際に用いる別名義」のような形になっていたから、そちらに関しては僕は全く違うアタマで聞いている。

だから、7枚目のオリジナルアルバムである『ワン・パターン』(1986)は、バンドとしてはP-MODELの「最後の」アルバムであると僕は思うのだ。

 

さて、僕はこの「ポップ」をいじくりまわすみたいな音楽が好きである。アルバム一枚に一万字近くかけてレビューを書くのは非常に骨が折れたのでもう絶対にやりたくないが、また疲れが癒えたら別のアルバムでもレビューを書こうと思う。