ヒーリングとしてのギター
ギターという楽器が好きではない。
というよりギターという楽器をいじめているギタリストが好きである。それはたとえばロバート・フリップだが……
(両方変な音しか鳴らしていないが、右側で座って弾いているのがロバート・フリップ)
一方で、ギターという楽器を弾くのは好きだ。ギターを弾いている間はあまり何も考えなくてもよいからである。
何かしたいが何もしたくない
大学が休みになったのでやることがない。来週からバイトを始めることにしたのでそれなりに忙しくはなるだろうが、この1週間は死ぬほど暇であった。
僕は回遊魚のような性質で、性格なのか、何らかの問題があるのか知らないが、常に何かをしていないとしんどくなる人間である。とにかく暇というのが苦手だ。
かといって一方で、自分は怠惰である。暇だから旅行に行こうとか観光に行こうとか街に出ようとか飲みに行こうとかはならないのであり、家から出るのが好きではない。ので、この一週間ほどは本当にほとんど家から出ずに過ごしていた。
そうすると必然的に「何かしたいが何もしたくない」苦痛の状態が訪れる。いわば、僕はスイッチをオフにすることができないので、それを紛らわすために色々趣味をやるわけだ。趣味というのは僕の場合、音楽を聴く、本を読む、映像を観る、文章を書く絵を描く楽器を弾く……などである。
インプットでもアウトプットでもなく
しかし、強引にまとめるとインドアでできる趣味はだいたいの行為は「インプット」か「アウトプット」かのどちらかであって、その辺の脳を使いたくない時には向かない。
本を読むにしろ映画を観るにしろ、無意識にダラダラ流しておける人はたくさんいると思うし、そうありたいものだが、僕の場合そういう行為は多くの場合意識的にしかできないので、自分の「意識」というやつがとことん嫌いになっているときはできそうにない。僕は脳のなかの交通量をとことん削減したいのだ。
そこで消去法的に選ばれるのがギターを弾くという行為で、ギターを弾くのは無意識でできる。脳というより指がやってくれるからだ。スケールを適当に鳴らしていればよさげに聞こえるので楽しく、それは機械的にできる。で、ほっておくといつの間にか何となくいいフレーズができていたりする。
というわけで、僕は特に何を練習するというわけでもないのにずっとギターを弾いている。これはおそらくストレッチとか筋トレとかと同じなんじゃないかなと思う。
創作する目的でもなく上達する目的でもなく、ただ音が鳴っているだけの状態が妙にうれしい。それがあとから創作行為になることもあるのだから一石二鳥ではないか。
ヒーリングとしてのギター
ギターを弾くことは、行為自体は内向的だが、その向いている内側が外側であるような感覚がある。
僕は楽器を、自分の意識を極力無意識に還元するためにやっている気がする。ヒーリングのための、自己セラピーのためのギターである。
筋肉少女帯のリード・ギターである橘高文彦氏は中学生でギターに出会ったとき、学校に行かずずっと家に引きこもり、ほぼずっとギターを弾き続けていたという。トイレに行くときも、というのだから相当だが、僕は結構その気持ちがわかる気がする。
皆様も楽器、あまり何も考えたくないときにどうであろうか。
近所迷惑なので深夜にはできないのが難点だが。