大津波では救いがたい

思考の総括と分解

ジョン・ウェットンについて思うこと(プログレの呪縛)

1月31日、ジョン・ウェットンが亡くなった。

 

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 僕はプログレリスナーなので、当然ジョン・ウェットンのことは知っている。キング・クリムゾンのいわゆる「黄金期」を支え、UK、エイジア……さまざまなグループでベースとヴォーカルを担当した彼は偉大なミュージシャンだった。

一枚だけだがソロアルバム(『Arkangel』、1997)を聴いたこともある。正直、ヴォーカリストとして声がとても好きというタイプではないのだが、アヴァンギャルドな音楽の中で光るポップセンス、メロディメイカーとしての才能は心から好きで、何度も聴いた。

一方、その優しい声とは人が変わったかのように、歪みきったファズ・ベースを変拍子であろうがおかまいなく弾きまくるプレイヤーとしてのウェットンは、プログレ界でベーシストを一人挙げろ、と言われればまず名前が挙がるほどの実力を有していたに違いない。クリス・スクワイアやグレッグ・レイクとともに――もはや三人とも亡くなってしまったが……。

 

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とくに世代というわけでもないのに高校時代プログレを聴きまくっていた僕にとってウェットンは育ての親みたいなものだった。空虚な気持ちを抱いている。ご冥福をお祈りしたい。

いっぽうで僕はウェットン(をとりまく言説)に対して複雑な感情もある。今回はそれを書いてみたいと思う。

 

「本物の」スターレス

上記の通り、とくにクリムゾンでのウェットンの歌声やベースプレイはプログレファンの間でとても人気が高い。それは僕にもわかる。

だが、僕は年配のプログレリスナーが次のようなことを言うのに対して、どうしてもついていけない部分がある。

 

 

 

僕は別に@yuuraku氏や@basassang氏のことを批判したいわけではないことを先に言っておく。彼らもウェットンの死を悲しみ悼んでいることだろう。

ただ、このような言説は、ある世代のプログレリスナーがウェットンならびにキング・クリムゾン、そしてプログレッシブ・ロックに接する際につねに発してきた言葉だ。僕はこのような典型的な言説を、色々なサイトや雑誌のレビューやインタビューで見てきたし、そのたびに違和感を覚えてきた。

プログレリスナーではない人のために軽く説明する。ここで@yuuraku氏が言っている「スターレス」とは70年代の黄金期のキング・クリムゾンの楽曲である。

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この"スターレス"は70年代クリムゾン最後のアルバム『Red』に収録された最後の曲であり、この荘厳な終末を感じさせるような雰囲気と中盤~ラストにかけての緊張感は、言うまでもなく名曲といった風情である。

ロバート・フリップ(g)、ジョン・ウェットン(b,v)、ビル・ブルーフォード(ds)。この三人はそれぞれがプログレ界の伝説的なプレイヤーだ。それゆえ、"スターレス"はプログレリスナーの間でのいわゆるアンセム的に扱われてきた楽曲なのだ。

とくに近年、ウェットンはUKやソロなどでこの曲を歌っていた。持ち歌のようなものだ。そしてウェットンとは別で、"スターレス"は(何度目かもうよくわからないが)再結成したキング・クリムゾンのレパートリーともなっている(詳しくは後に書く)。

しかし、@yuuraku氏など往年のプログレリスナーが言うような「本物の」"スターレス"とはおそらく、ウェットンがソロで歌う"スターレス"でも、そして「今の」キング・クリムゾンのメンバーでの(ジャッコ・ジャクスジクがヴォーカルをとる)"スターレス"でもないのだろう。上に挙げたフリップ、ウェットン、ブルーフォードという三人が集まって初めて、この曲は「本物」なのだ。

 

 

まあ、オリジナルメンバーがプレイするものが本物だ、なんてのは当たり前で、僕は特にそこに異論はない。彼らとて、それ以後のウェットンやフリップの仕事を全否定しているわけではないだろう。@basassang氏のツイートを遡ると、それ以後のウェットンの業績を肯定的に語る言葉もあったのであり、僕も基本的にそれは同じ気持ちである。

ただ、結局のところこのような言説は、70年代以後も音楽をプレイし続ける(続けていた)ウェットンにもクリムゾンにも本質的な意味では「本物」を認めない。彼らはロバート・フリップが今まさに実行しているプロジェクトや目論見(トリプル・ドラム)を、70年代黄金期クリムゾンの「再現」としか感じないだろうし、基本的には70年代の「あの」音を求めているのだと思う。

「あの3人がいる」、70年代のキング・クリムゾンしか、彼らは認めない。『太陽と戦慄』、『暗黒の世界』、『Red』……しか。

 

黄金期プログレの代名詞としてのウェットン

 

ウェットンはクリムゾン解散後、UKを経て次第にポップな方向へ向かい(そもそも彼はクリムゾンでも”土曜日の本”や”ふたたび赤い悪夢”などのヴォーカルパートでじゅうぶんポップセンスを見せていたのだが)、ついにエイジアの結成でそのポップネスは結実する。

 

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 (楽曲は二枚目から)

 

デビュー・アルバム『エイジア』は、1982年に全米で最も売れたアルバムだった。しばしばアヴァンギャルドとみなされるプログレ出身のメンバーばかりで構成されたバンドながら、その音は非常に煌びやかな歌モノであり、流行りのミックスが施されたスタジアム・ロックであった(この過剰なほどのリヴァーヴ!)。あきらかにパンク以後、ニューウェイヴの音を引き受けて作られている。

エイジアのサウンドは、いくつか聞くと変拍子ハード・ロック的な激しいパッセージも盛り込まれてはいるものの、確かにここまでに挙げた"イージー・マネー"や"スターレス"と比較すると確かに全くかけ離れた音楽に聞こえる。ウェットンのベースも、かつての攻撃的な音は次第になりを潜めていく。

…少しそれるが、このサウンドは(とくにミックスなどの加減は)僕としてはジェフ・ダウンズ(バグルス、イエス)の意向であると思う。当然ウェットンのメロディセンスは大きいのだが、バグルスや、バグルスと合体していた同時期のイエスの音源(『ドラマ』)を聴くと、エイジアとはそうかけ離れていない。

そもそもジェフ・ダウンズはイエスのファンであり、ニューウェイブ系の音楽にも、プログレのDNAは受け継がれていたはずなのだ――それを肯定的に捉えるかどうかは別として。

 

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さて、エイジアによって彼らはビジネス的に成功することになるのだが、プログレファンからは、上に挙げたように「産業ロック」と言われ、散々な評価だった。「奴らは産業に堕した」だの「ほんとうにやりたいのはプログレのはず」とか何とか言われたのである。

ジョン・ウェットンがクリムゾンに参加していたのは1972~1974年のごく短い間で、UKやエイジアでの仕事の方が圧倒的に長期であるが、プログレリスナーの間ではいまだにウェットンという人はこの「黄金期のクリムゾン」の人である。縛られているといってもよい。ジョン・ウェットンという人は、恐らく死ぬまでプログレ黄金期の代名詞みたいに扱われた人だ。本人の意向に関わらず。

彼がそこから離れていこうとも、少なくともプログレのリスナーは、かつての音をウェットンに求めていた。だから、ウェットンがいないクリムゾンにも、「プログレでない」ウェットンにも、リスナーはいい顔をしない。

 

キング・クリムゾンの変化

それは一方でキング・クリムゾンの方もそうだった。

エイドリアン・ブリュー(g,v)を迎え1980年代に再結成したクリムゾンも、ウェットンとは違った仕方でポスト=パンクのサウンドを引き受け、それまでとは全く異なるアプローチをしていたし、90年代以降にはメタル・クリムゾンと称してさらなる別のサウンドを追求していた。今はまた再結成し、ドラムが三人編成(四人になるらしいが)という斬新な形態で新しい音を追求し続けている。

フリップは昔一度成し遂げたことになどまったく興味がないのだ――仮にかつてのレパートリーを今、プレイしているとしても。

80年代~ゼロ年代にかけて在籍したエイドリアン・ブリューというアメリカ人は気の毒で、つねにウェットンやレイクという先代のヴォーカルと比べて軽いだの陽気すぎるだの言われてきたし、旧来のプログレリスナーからは彼特有のシニカルさやユニークさは敬遠されてきた。

実際80年代のクリムゾンはかつての「深淵」で「荘厳」なサウンドからはまるっきり離れていた。ロバート・フリップのソロアルバム『エクスポージャー』を聴けばわかるが、フリップはニューヨークの路上の乾いた暴力性をこそ表現したかったのだ。

(そのサウンドは、僕からすれば"太陽と戦慄"や"フラクチャー"でフリップが披露してきた複雑なリズムワークの延長上にあり、けしてかつてのクリムゾンとかけ離れたものではないと思われるが)

……それでも、旧来からのリスナーにとってはプログレというのはイギリス、少なくともヨーロッパのもので、アメリカ人は合わない。

 

そこからさらに三十年経ち、現在のキング・クリムゾンは、70年代以来まったく放棄されていたかつてのレパートリーを、複数人のドラムスによって再構築するという試みを行なっている。

 

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クリムゾンというのはまったく昔の曲をやらないバンドだったのだが、ここにきて、ドラム三人による再構築という手法を選んだ。これは僕にとっては意外だったが、ロバート・フリップによれば「いつ作った曲であれ、どれも新曲」なのだそうだ。

ロバート・フリップ、「キング・クリムゾンの掟」を語る | Rocqt

 

だが一部のリスナーにとって、ここでも問題になったのは「ウェットンがいない」「グレッグ・レイクがいない」ことだった。エイドリアン・ブリューはクビにされ、ジャッコ・ジャクスジクという比較的かつてのレパートリーに似合う声の持ち主がヴォーカルとして選ばれたが、それでも(いや、だからこそ)彼らはウェットンの声を求めていた。正確には70年代を求めていた。

クリムゾンの歴史を全部語ると異常に長い記事になるので少し足早に素描したが、おそらくキング・クリムゾンもまた、あの1972年から1974年に縛られている部分は否めない。

 

陸続きの場所

偉大な業績を残せば、それは確かにいつまでも残るだろうし、聴き継がれ、引き継がれていくだろう。そうあるべきだと思う。だが、その過去が今を縛る呪縛になることもある。

ウェットンが死に、かつてのクリムゾンの音が懐古されるたび、僕はその感想に「納得」と「けだるさ」を同時に感じる。たしかにあの時代のクリムゾンは素晴らしい。文句のつけようがなく最高だと思う。とくにリアルタイムで聴いた世代ならば、その時代を懐かしむ気持ちもあるだろう。

だがウェットンもフリップも、他のミュージシャンも、あの70年代のごく短い期間にずっと縛られていたわけではない。彼らはつねに今目の前で表現したいことと格闘し創作行為に当たってきた。少なくともフリップは未だに格闘し続けていると思うし、ずっとプログレッシヴであり続けている。

彼等はおそらく、70年代を捨て去ったわけでも、逆にそこに拘泥しつづけていたわけでもない。あの時代と「陸続きの場所」を、彼らなりに別の仕方で歩き続けている(いた)はずだ。僕はそれも肯定したい。たぶん「いつ作った曲であれ、どれも新曲」の精神なのだ。フリップの言葉は的を射ている。

 

当然、僕にも好き嫌いがあるから、別に彼らのすべての創作物を積極的に評価するというわけではない。けれど、創作しつづける彼らの姿勢に関しては、僕は肯定したいと思う。「ウェットンがいない」キング・クリムゾンも、エイジアでプレイしていたウェットンも、どれも「本物」なのだ。どれだけ願おうとも、70年代のあのプログレが帰ってくることなど無いのだから。ジョン・ウェットンが死んでしまった今、それはなおさらそうだ。

昔と違うから「偽物」だとか、逆に昔から変わらないから懐古趣味だとか、そういう評価基準が音楽のなかにあるとき、僕は少し複雑な思いをする。アンフェアだと思う。そしてウェットンの周りを、常にそういった言説がとりまいてきたのだ。

 

最後に

何度も繰り返す通り、往年のプログレリスナーと、僕のような最近になって後追いしたリスナーでは、音楽の持つ意味合いが異なるのだろう。そしてそれ以降の音楽を縛ってしまうほどに1970年代の音楽というのは確かな魅力を持っていた。それを否定することは僕にはとてもできない。

キース・エマーソンやクリス・スクワイアやグレッグ・レイクが亡くなったときも悲しかったが、ウェットンが亡くなったことを、僕は特別残念に思う。

 

最後に、ジョン・ウェットンがロキシー・ミュージックに参加した際の動画と、彼のソロから一曲挙げて記事を終わりにする。

安らかに眠ってほしい。

 

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「笑い」の明るさと暗さ(松本人志とオモコロ、とタモリ)

タモリ松本人志というめちゃくちゃなデカい名前を連ねてしまったが、最近面白く感じたことがあったので自分なりにまとめる。

 

オモコロ

「オモコロ」というサイトを普段からよく閲覧している。

 

バーグハンバーグバーグという変な名前の会社が運営しているサイトで、その辺のネットメディアと同じような感じのこともしてはいるのだが、その実は非常にふざけたサイトである。

最近だとこのあたりのコラボ記事を目にした方もおられるかもしれない。

cp.yokai-punipuni.jp

 

cp.yokai-punipuni.jp

 

まあ上記の通り、なにかをPRするにしてもちょっと斜め上に外してくるのがオモコロのスタイルだ。適当に「オモコロ ARuFa」とか「オモコロ セブ山」とか「オモコロ ヨッピー」検索すると面白い記事が見られると思う。上のリンクでも出てきているけれど、地獄のミサワなんかもブレイク前から(ていうか本人が中学生くらいのときから)関わっているサイトだ。

 

これはいろいろなところで触れられているが、オモコロのルーツは、基本的には90年代後半~ゼロ年代初頭くらいの、まだSNSも未発達な時代にある。(やや長いが、それについてはこの記事を見てほしい:

【今更】あれだけ流行ったテキストサイトが何故廃れたのか考えてみる【考察】 | オモコロ

実際、オモコロの編集者やバーグハンバーグバーグの初期から携わっている社員はほとんどこのテキストサイトの出身である。基本的に最近私たちがよく目にするようなネットメディアやキュレーションメディアとはもちろん性質が異なる。

 

 

松本人志とオモコロ

 

で、そのオモコロがどうしたという話なのだけど、今日の昼頃に更新されたシモダテツヤ(バーグハンバーグバーグ社長、初代オモコロ編集長)と地獄のミサワのラジオを聴いたところ、それがかなり面白かったのである。

 

omocoro.jp

 

ここではオモコロの「お笑い論」というか、彼らが中高生のころからの笑いに関するスタンスが明らかにされている。

そこで引き合いに出ていたのが他でもなく松本人志であった。シモダもミサワも両方が、中高生の時代に松本の著書を読み影響を受けたという。ちょっとかいつまんで引用してみよう。

 

ミサワ「中学とかで松本人志の本を読むと、俺は松本人志だと、俺は一握りの才能のやつだと」

シモダ「俺は”こっち側”にいとかないとダメだ、と」

ミサワ「俺はそれで勘違いしすぎて、中学出てすぐお笑いやろうとしてたからね、すぐ俺は松ちゃんじゃないって気づいたけど」

シモダ「『遺書』とか『松本』とか……を読んだ時に、『あ、お笑いを作ってる人って、「クリエイター」なんや』と感じたよな」

ミサワ「それ謝ってほしいですよね、全部嘘でしたからね」

 

松本人志に思い入れがより大きいのはミサワで、ミサワはジャンプの新人賞の審査をやった際のことを松本になぞらえつつ話している。

 

 ミサワ「松ちゃんがM1の審査員をやり始めたくらいで、自分が一番面白く映るような番組をやめだしたんですよね。他人を活かしたりとか。昔の『ごっつ』って、『松本人志が、松本本人が一番面白くなるように』っていう感じだったのが、審査始めてそうじゃなくなったのを見て、ああなりたくねえなっていう」

シモダ「だからミサワは未だに誰とも徒党を組まずに孤独な感じでやられてるんですか」

 

時代的にも彼らのお笑いの起点にダウンタウンがあることは間違いがない。オモコロというサイトは、おそらく80年代後半~90年代初頭のお笑いの文脈と陸続きなのだ。

次で引用するのは最後になるのだが、以下の部分が僕は非常に面白かった。

 

シモダ「ただインターネットを始めた時に、なんか違うなと思った。たとえば、『喋りで賑わかす』とかじゃないやん。文章とか、画像一枚とか、そういう世界になるやん。本とかの世界に近いというか」

シモダ「これで『どうやって笑ってもらおう』みたいに考えた時にやり方が(松本とは)全然違うくてさ。芸能人がブログやったら面白くない場合があるけど、あの感じになりかけたことがあって、テンション高いだけやったらあかんなと。

もっと暗くなってかな。もっともっと、暗い、悲しい、悲哀みたいなんを背負っていかないと、こっちは面白くなっていかない、と思って、そっから学校で友達作るんやめたり」

 

シモダは、インターネット上での「笑い」を松本人志までのお笑いと違ったものとして考えている。これはけっこう「文字媒体」に対して鋭い批評だと思う。

 

「明るさ」とは何か(タモリの「弔辞」とジャズ)

 では、シモダが言う「明るさ」とはなんだろうか?と僕は考えた。

シモダのいう意味では、おそらく「テンションの高さ」だと思う。

その点では確かに両者の違いは確かに明らかで、松本人志の笑いは現実上のコントであり、華やかでバカっぽい、テンションの高さを維持している。ネット上の表現はいくらテンションを高くしたところでのっぺりとした「書かれたもの」なので、そのテンションの高さはともすると芸能人のブログのように「痛々しく」なってしまう。

 

しかし、一方で松本の笑いはもとから「少し悲しい」テーマだったりするのだ。それはいくつかコントを観てもらえばその言わんとすることが理解できると思うけれど、要約すると松本人志の笑いには、幼少時の貧乏さが反映されている。

それはビートたけしの場合も同じだし、笑いと言うのはそもそも根本的に悲しい側面がある。「面白い」状態は当初から「悲哀を背負って」いるのだ。

そう考えると両者を区別するシモダの言葉はよくわからなくなってしまう。

 

で、僕はここでタモリの言葉を挿入すると、けっこうわかりやすいんじゃないかと思う。

有名な赤塚不二夫への弔辞である。

 

弔辞 ( ノーカット版 ) - YouTube

 

あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。

この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

(略)あなたにとっては死も一つのギャグなのかもしれません。

 

ここでタモリ赤塚不二夫のギャグスタイル(「これでいいのだ」)を「あるがままの肯定」「重苦しい前後関係からの切断」「異様な明るさ」と要約している。

 

「これでいいのだ」には、そもそも底抜けの悲しさ(たとえば死)が前提されている。しかし、その文脈性を赤塚不二夫は切断し、その場を「いま、ここ」だけを「異様に明るく」する。それがタモリのいう赤塚の笑いだ。

 これは赤塚不二夫のギャグスタイルと言うより、それをとりまく文化圏内あるいは時代(赤塚不二夫筒井康隆タモリ、高慎太郎ら)の特徴だろう。具体的に言うとそれはジャズの即興性である。彼らのコミュニティは基本的にジャズ愛好のコミュニティで、そこには山下洋輔などジャズ・プレイヤーも多く出入りしていた。

 

ジャズのセッションはそもそも高度な文脈性の中で行なわれる。しかし、そこで問題になるのは「この場」をいかにしてその文脈からズラして(切断して)いくかという即興性だ。そこで出てくるのがパロディという方法論なのだろう。

「私もあなたの数多くの作品の一つです」で締められるこの弔辞でもそれは実践されている。タモリは手元にメモを持っているが、それは実は白紙であり、すべて即興であった(勧進帳のパロディ)。このエピソードはわりと有名だが、これは70年代後半~80年代のニューウェーブな時代を象徴する笑いのスタイルなのである。

 

ここで、シモダのいう「暗くなくていけない」ネットの笑いと、タモリの言う「異様な明るさ」は、綺麗に対比しているのではないかと思う。

 

タモリの方法論はおそらく松本人志と、部分的に通じている。なぜならこの即興性は、そもそも根本的に「笑い」全体を支える原理だからだ。

もちろん、タモリの笑いは基本的に都市型というか東京型で、東京の文化人・知識人の間で生まれてきたものであり、松本人志の笑いはもうすこし土臭い部分から出てきている、という違いはある。また、(タモリは福岡出身だが)東西の笑いの違いはあると思う。

しかし、「暗さ」=文脈性をその場で切断して明るくする、という点は、そもそも漫才の「ツッコミ」がそうである。ツッコミは、変である(「陰」である、重苦しい)状態を観客の目の前で「その場で」指摘し、鋭利に切断して見せる。そのカタルシスが漫才であり喜劇の原理なのだと思う。

タモリのいう「明るさ」とはその直接性であり、鋭利な切断のことだ。「現前性」と言ってもいいと思う。

それはたぶん「お笑い」というジャンルそのものの根本的な方法論だろう。

 

ネット記事の「笑い」 

 ではなぜネット上の笑いは暗くなくてはならないのか。それは多分、現実の笑いのように、ある種の文脈性から切り離すことが不可能だからではないだろうか。

ネット記事にはおそらく「いま、ここ」(即興性)がそもそも、ない。アーカイブされ、編集されているからである。

かりに五分前に更新された記事であったとしてもそれは「できあがったもの」で、そこに「鋭利さ」とか「テンションの高さ」を見つけることができない。そこには口語のリズムや抑揚や掛け合いや即興性などないからだ(というか、その「鋭利さ」は「それをいうその場」でしか通用しないから、文字にしてしまうと基本的に面白くない。芸能人のブログが面白くないことの理由はこれだろう)

ネットの記事は徹頭徹尾「間接的」で、直接的に訴えかける鋭利さがない。それはずっと重苦しい文脈性の中にしかない。テレビの中での「テンションの高さ」を維持することができない。

そこで面白くするには、そのテンションの高さとは別の、「現前性」の無いものを考えなければならない。シモダが感じた「悲哀を背負っていく」義務感はたぶんこれのことである。

 

「明るさ」「暗さ」とは実際のところ、「直接性」と「間接性」のことで、これはテレビで見る笑いとネットで見る笑いの区別という意味では、けっこう批評的に面白いことを言っているのではないかなと思ったのである。

オモコロのスタイルは(あるいはテキストサイトの文化は)、日本のお笑いの文脈上で考えられるものだし、そのうえで、結構変なことをやっているのではないか、と思えてきた。

まあ、テレビで見る笑いも編集されているので結局のところ「直接」(即興)に見えるだけなんだと思いますが。

 

余談

当然、テレビ-ネットという二項にくくれない芸人やライターがたくさんいると思う。最初期のダウンタウンの漫才なんかもそういう意味では「切断の明るさ」からは無縁だったし、テンションの高いオモコロライターなんていっぱいいるし、ひとつの文章やひとつの画像で単に笑わせるという意味では文脈から切り離されたものがネット記事上のなかにもあって、一概には言えないかもしれない。

こうやって考えると、筒井康隆のやっていたことはけっこうおもしろい。彼がやっていたのはジャズの即興性をいかに文章の中でやるかということだった。要するにここで論じてきた両義性をどっちも文章でやろうとしていたのである。

 

で、この話題はもうちょっと広げて、笑いが起きる「場」そのものに対する批評ってことでまとめられる気もしている。それは書くかもしれないし、書かないかもしれない。